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地租改正・徴兵令の浮世絵イラスト
明治の近代化 ③中学/社会
1873

地租改正・徴兵令

大久保利通(内務卿)・山縣有朋(陸軍卿)ら明治政府
語呂
覚え方
嫌な身銭、地租改正・徴兵令
嫌(1・8)な(7)み(3)銭

1873年(明治6年)、明治政府は「地租改正」と「徴兵令」という二つの大改革を断行しました。地租改正では、収穫量に応じて変動していた江戸時代の年貢を廃止し、土地の値段(地価)を基準に金銭で納める新しい税制を導入。地券を持つ土地所有者が地価の3%を現金で毎年納める仕組みに変わりました。同年に出された徴兵令は、士農工商の身分を問わず20歳以上の男子に兵役を義務づけ、国民皆兵の近代軍隊を生み出しました。どちらも富国強兵・殖産興業を推し進める明治政府の財政基盤と軍事力を支える柱となりましたが、農民の重い負担が「地租改正反対一揆」を各地で引き起こし、1877年には税率が地価の2.5%へ引き下げられることになります。

この記事のポイント

  • 1873年、地租改正令を公布。土地の地価を算定し、地価の3%を現金(金納)で国に納める制度に統一
  • 土地所有者には地券が発行され、土地の私的所有権が法的に確立された
  • 同1873年に徴兵令を公布。士農工商の身分に関係なく満20歳以上の男子に兵役を義務づけた
  • 税率3%は農民には依然として重く、各地で地租改正反対一揆が頻発
  • 1877年、政府は一揆の圧力に屈し税率を地価の2.5%へ引き下げた
ここが面白い

地租改正で税率は地価の3%に固定されたが、農民の負担は江戸時代より重くなる場合もあった。不満が爆発した地租改正反対一揆で、政府は1877年にわずか2.5%へ引き下げを余儀なくされた。

ここに至るまでの流れ
背景

明治政府が地租改正・徴兵令に踏み切った背景には、江戸時代から引き継いだ二つの大きな問題がありました。一つは不安定な税収、もう一つは身分に縛られた旧来の軍事力です。この二つを同時に解決しようとしたのが1873年の大改革です。

江戸時代の年貢制度とその問題点

江戸時代の税制は「年貢」が中心で、各地の石高(米の収穫量)に応じて物納(米)で納めるのが原則でした。しかし収穫量は年によって変動するため、政府(幕府・藩)の税収も安定しませんでした。また明治維新後は藩が廃止(廃藩置県・1871年)されたため、全国を統一した新しい税制が不可欠でした。

富国強兵・殖産興業の資金が必要だった

明治政府は西洋列強に追いつくため、鉄道・製糸工場・郵便など多くの近代化事業を進めていました(殖産興業)。軍備の拡充(富国強兵)にも莫大な費用がかかります。これらの安定した財源を確保するために、年貢に代わる近代的な土地税制が必要でした。

廃刀令・秩禄処分と士族の解体

明治政府は旧武士階級(士族)の特権を段階的に廃止していました。身分制度が崩れるなか、兵力を士族だけに頼ることはできなくなっていました。徴兵令はこの流れの中で、国民全体から兵を集める仕組みとして位置づけられました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

地価を基準にした統一税制の導入

≒ 固定資産税的な「土地の評価額に応じた税」

全国の農地を測量して地価を算定し、地価の3%を毎年金銭で納めることを義務づけた。従来の「収穫量に応じた米納」から「土地の評価額に応じた金納」へ大転換。

地券の発行による土地私有権の確立

≒ 土地の登記証書・権利書

土地の所有者に地券(ちけん)を発行し、土地の私的所有権を法的に認めた。地租の納税義務者は地券の名義人(土地所有者)となった。

徴兵令による国民皆兵制の創設

≒ 身分を問わない「徴兵制度」

満20歳以上の男子を原則として兵役に就かせる徴兵令を公布。武士だけが戦う時代が終わり、農民・商人も兵士になる近代軍が生まれた。

前後のできごと
年表
1868
明治維新戊辰戦争・五箇条の御誓文。新政府が発足し、近代化路線が始まる。
1871
廃藩置県藩を廃止して府・県に統一。全国一元的な行政・税制整備が急務となる。
1873
地租改正・徴兵令地租改正令(7月)と徴兵令(1月)を公布。近代税制と国民軍の基盤が整う。
1876
反対一揆の激化伊勢(三重)・茨城・岐阜などで地租改正反対一揆が相次いで発生。
1877
税率引き下げ・西南戦争地租を地価の2.5%へ引き下げ。同年、最後の士族反乱・西南戦争が起き、徴兵軍が鎮圧した。
1889
大日本帝国憲法地租収入を基盤とした財政で、立憲国家の体裁が整う。
結果とその後
結果
税収が安定し、明治政府の近代化事業・軍備拡張の財政基盤が確立された。地券発行で土地私有権が法的に明確化し、近代的な土地取引・農業経営の基礎ができた。
税率3%は農民には重く、各地で地租改正反対一揆が頻発。政府は1877年に2.5%へ引き下げを余儀なくされた。また徴兵令には多くの免役規定(官吏・学生・戸主・代人料納付など)があり、実質的に農家の次男以下に負担が集中したという側面もある。
登場人物
人物

大久保利通

参議・内務卿(明治政府の最高実力者の一人)

殖産興業・富国強兵を強力に推進した。地租改正の中心的推進者。1878年に暗殺される。

山縣有朋

陸軍卿

徴兵令の立案・実施を主導した。のちに初代陸軍大臣・内閣総理大臣を歴任。

大隈重信

大蔵卿

地租改正の財政的側面を担当。地価算定と税収の安定化を図った。

板垣退助

参議

地租改正に関わる一方、1874年に民撰議院設立建白書を提出し自由民権運動の先駆けとなった。

キーワード解説
用語
地租(ちそ)
土地にかかる税のこと。地租改正により、地価の一定割合を毎年金銭で納める統一税制となった。
地価(ちか)
土地の値段(評価額)。地租改正では全国の農地を測量・調査して地価を算定し、税率計算の基準とした。
地券(ちけん)
土地の所有者に発行された証書。所有者・地価・税額などが記載され、土地の私有権を証明した。
徴兵令(ちょうへいれい)
満20歳以上の男子に兵役を義務づけた法令(1873年公布)。身分に関係なく国民が兵士になる制度を定めた。
国民皆兵(こくみんかいへい)
すべての国民(男子)が兵役の義務を持つ考え方。徴兵令はこの理念に基づいた。
殖産興業(しょくさんこうぎょう)
政府が産業育成・近代化を積極的に進める政策。地租改正で安定した財源を確保し、この政策を推進した。
もっと知りたい
豆知識

1農民の負担は本当に軽くなったのか?

「米の収穫から土地の評価額への変更」と聞くと近代的に見えるが、実態は地方によって異なった。地価算定の基準が高めに設定された地域では、江戸時代の年貢より実質負担が重くなるケースもあった。これが各地の一揆につながった。

2地租改正反対一揆と西南戦争が同じ1877年

地租改正反対一揆が各地でピークを迎え、政府が税率引き下げを決めた1877年は、西南戦争(西郷隆盛率いる旧士族の反乱)も起きた年。徴兵令で集めた農民兵が旧武士の反乱を鎮圧したことは、近代国民軍の有効性を証明する出来事となった。

3徴兵令の「免役規定」が多すぎた?

当初の徴兵令には免役規定が多く、官吏・学生・戸主(一家の長男)・一定の代人料を納めた者などは兵役を免れた。実質的に貧しい農家の次男以下が徴兵の対象となりやすく、「血税一揆」とも呼ばれる反対運動が起きた地域もある(通説として広く知られるが、地域差もある)。

4地租収入が明治財政の大黒柱だった

地租改正後、地租は明治政府の税収の大半を占めた。1880年代には全税収の6〜7割を地租が担っていたとされる。この安定した税収が鉄道建設・工場設立・軍備拡充などの近代化事業を支えた。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
地租改正(1873年):地価の3%を金納。地券所有者(土地所有者)が納税義務者。
徴兵令(同1873年):満20歳以上の男子に兵役義務。身分を問わない国民皆兵制。
地租改正反対一揆→1877年に税率を地価の2.5%へ引き下げ。
同1877年に西南戦争。徴兵令で集めた近代軍が旧士族の反乱を鎮圧した。
語呂:嫌(1・8)な(7)み(3)銭で「1873年・地租改正・徴兵令」。
語呂クイズ
「嫌な身銭、地租改正・徴兵令」= 地租改正・徴兵令は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 地租改正とは何ですか?
A. 1873年(明治6年)に実施された税制改革です。江戸時代の年貢(収穫量に応じた米の物納)を廃止し、土地の評価額(地価)の3%を毎年金銭で納める統一税制に改めました。
Q. なぜ地租改正が行われたのですか?
A. 年貢は収穫量によって変動し、政府の税収が不安定だったためです。近代的な税制に統一して税収を安定させ、富国強兵・殖産興業の財源を確保することが目的でした。
Q. 地租改正の税率はどのくらいでしたか?
A. 当初は地価の3%でした。農民の負担が重く各地で反対一揆が起きたため、1877年に地価の2.5%へ引き下げられました。
Q. 徴兵令とはどのような制度ですか?
A. 1873年に公布された法令で、満20歳以上の男子に兵役を義務づけました。それまで武士だけが担っていた軍事を、身分に関係なく国民全体で担う「国民皆兵」の制度です。
Q. 地租改正反対一揆はなぜ起きたのですか?
A. 地価の算定が高めになった地域では農民の実質負担が江戸時代の年貢より重くなることもあり、1876〜77年を中心に伊勢(三重)・茨城・岐阜などで大規模な一揆が発生しました。これを受けて政府は1877年に税率を3%から2.5%へ引き下げました。
まとめ

地租改正と徴兵令は、明治政府が「富国強兵・殖産興業」を実現するために断行した二本柱の改革です。土地から安定した税収を得る仕組みと、身分を超えた近代軍の創設は、のちの日清・日露戦争や立憲国家の確立を支えることになります。一方で農民への重い負担は地租改正反対一揆を生み出し、政府は税率を2.5%へ引き下げざるを得ませんでした。「嫌(1・8)な(7)み(3)銭」と覚えて、1873年という年号と「地価3%・金納・地券」「徴兵令・国民皆兵」という要点をセットで押さえましょう。

編集メモ(ファクト)
税率3%は1873年の地租改正令公布時の数値。1877年に地価の2.5%へ引き下げられた(この引き下げが西南戦争と同年であることは重要な入試頻出事項)。
徴兵令の免役規定(戸主・学生・代人料納付者など)が広範だったため、実態として農家の次男以下への集中があったとする見解は広く知られるが、地域・時期によって差があり、断定は避けた。
地租改正反対一揆の規模・地域については、代表的な伊勢暴動(1876年)・茨城・岐阜の事例を念頭に置いたが、一揆の数・死傷者数などの詳細数値は諸説あるため本文では数値を入れていない。