
山縣有朋
やまがた・ありとも 1838–1922 / 明治〜大正・政治家
陸軍の基礎を築いた元老基本データ
- よみ
- やまがた・ありとも
- 生没年
- 1838–1922
- 別名・号
- 狂介(旧名)、有朋
- 出身(藩)
- 長州藩(現在の山口県)
- おもな地位・役職
- 陸軍卿、内務大臣、内閣総理大臣(二度)、元老
- 所属(藩閥・政党)
- 長州藩士(長州閥・軍部の中心人物)
- 代表的な立場
- 日本陸軍の基礎を築いた元老
どんな人?
山縣有朋(やまがた・ありとも)は、長州藩出身の軍人・政治家で、日本陸軍の基礎を築いた元老です。明治政府では陸軍卿として1873年の徴兵令の立案・実施を主導しました。
1877年の西南戦争では政府軍の司令官として士族反乱を鎮圧。1885年の内閣制度創設では初代内務大臣に就任し、軍・警察・地方行政を掌握しました。のちに首相も務め、明治・大正の政界に大きな影響力を持ちました。
おもな業績・つくったもの
- 徴兵令の立案・実施を主導(1873年)1873年、満20歳以上の男子を兵役に就かせる徴兵令の立案・実施を主導。武士に限らない「国民の軍」を生み出した。
- 近代的な日本陸軍の基礎を築く徴兵制の導入や軍制の整備を進め、西洋にならった近代的な陸軍の骨格を築いた。以後長く軍と政界に影響力を持った。
- 内閣制度で初代内務大臣に就任(1885年)1885年に太政官制に代わり内閣制度が発足すると初代内務大臣に就任。地方制度の整備など内政の基盤づくりを担った。
生涯のあゆみ(年表)
- 1838長州藩の下級藩士の家に生まれる。
- 1873徴兵令の制定に深く関わり、近代的な軍制を整える。解説を見る →
- 1877西南戦争で政府軍(陸軍)の指揮にあたる。解説を見る →
- 1885内閣制度の発足に伴い内務大臣を務める。解説を見る →
- 1889第一次内閣を組織し、内閣総理大臣となる。
- 1890総理大臣として第一回帝国議会に臨む。解説を見る →
- 1922元老として長く政界に影響を残し、死去。
豆知識
徴兵令を進めた陸軍の礎
山縣は1873年の徴兵令の制定に深く関わり、国民皆兵による近代軍の基礎を築いた。長州出身の軍人政治家として陸軍に強い影響力を持った。
松下村塾で学んだ
山縣有朋は若いころ、吉田松陰が指導した松下村塾に学んだと伝えられる。同門からは伊藤博文ら、明治政府を担う人材が多く出た。
人物相関
山縣有朋
よくある質問
山縣有朋は何をした人?
長州藩出身の軍人・政治家で、徴兵令の制定などを通じて日本陸軍の基礎を築いた人物です。二度にわたり内閣総理大臣を務め、その後は元老として長く政界に大きな影響力を持ちました。
山縣有朋と徴兵令の関係は?
山縣有朋は1873年の徴兵令の制定に深く関わりました。国民から広く兵を集める近代的な軍制の整備を進め、日本陸軍の土台をつくった人物とされます。
元老とは何ですか?
明治から大正期に、天皇を補佐し首相の選定など国政の重要事項に関与した、非公式ながら大きな影響力を持つ有力政治家を指します。山縣有朋はその中心的な一人でした。