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第一回帝国議会の浮世絵イラスト
明治の立憲国家 ②高校/政治
1890

第一回帝国議会

山県有朋(第一次山県有朋内閣総理大臣)/伊藤博文(枢密院議長・憲法起草の中心人物)
語呂
覚え方
人は悔いなし、第一回帝国議会
い(1)や(8)く(9)れ(0)

1890年(明治23年)11月25日、東京・日比谷に第一回帝国議会が召集されました。前年1889年に発布された大日本帝国憲法に基づき、日本に初めて「国会」が誕生した瞬間です。同年7月には第一回衆議院議員総選挙が実施され、民党(立憲自由党・立憲改進党など旧民権派)が過半数を超える議席を獲得。第一次山県有朋内閣(藩閥政府)と「政費節減・民力休養」を掲げる民党は、予算審議をめぐって激しく衝突しました。近代日本の議会政治は、最初の会期から波乱含みのスタートを切ったのです。

この記事のポイント

  • 1890年(明治23年)11月25日、大日本帝国憲法に基づき第一回帝国議会が開かれた
  • 同年7月の第一回衆議院議員総選挙で選出された議員が参加(選挙権は全人口の約1.1%)
  • 帝国議会は貴族院と衆議院の二院制で構成された
  • 衆議院では民党(立憲自由党・立憲改進党など)が過半数を占め、藩閥政府と予算をめぐり対立
  • 日本の近代議会政治の出発点となった歴史的な会期
ここが面白い

第一回衆議院議員総選挙の有権者は全人口の約1.1%だけ。「議会」といっても、選べたのはほんの一握りの納税者だった。

ここに至るまでの流れ
背景

第一回帝国議会は、突然生まれたわけではありません。明治維新からおよそ20年間、自由民権運動・憲法制定・内閣創設という段階を踏んで、ようやく「国会」が開かれました。その流れを見ておきましょう。

自由民権運動の高まり

1874年(明治7年)、板垣退助らが民撰議院設立建白書を提出し、国民が選んだ議員による国会の開設を求めました。これを機に自由民権運動が全国に広がり、政府は無視できない圧力を受けました。

国会開設の勅諭(1881年)

1881年(明治14年)、政府は「1890年をめどに国会を開く」と約束する国会開設の勅諭を発しました。板垣退助は自由党を、大隈重信は立憲改進党を結成し、議会開設に向けた準備が本格化しました。

内閣制度の創設(1885年)

1885年(明治18年)、太政官制を廃止して内閣制度が発足し、初代内閣総理大臣に伊藤博文が就きました。議会開設を見据えた行政の近代化が進みました。

大日本帝国憲法の発布(1889年)

1889年(明治22年)2月11日、伊藤博文が中心となってドイツ(プロイセン)憲法を参考に作成した大日本帝国憲法が発布されました。天皇主権・臣民の権利は法律の範囲内、議会の権限は政府に比べて限定的という内容でした。翌1890年の議会開設が明記されていました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

第一回衆議院議員総選挙の実施

≒ 初めての国政選挙

1890年7月1日に実施。選挙権は直接国税15円以上を納める満25歳以上の男性のみで、有権者は約45万人(全人口の約1.1%)にすぎなかった。

二院制議会の発足

≒ 貴族院と衆議院の並立

帝国議会は皇族・華族・勅任議員で構成される貴族院と、選挙で選ばれた衆議院の二院制。法案は両院を通過する必要があった。

民党と政府の予算対立

≒ 議会と内閣の最初の衝突

衆議院で多数を占めた民党は「政費節減・民力休養」を掲げ、政府(第一次山県有朋内閣)の予算案を大幅に削減しようとした。政府は説得・切り崩し・脅しで乗り切り、第一議会は波乱のうちに終了した。

前後のできごと
年表
1874
建白書板垣退助らが民撰議院設立建白書を提出。自由民権運動が始まる。
1881
勅諭国会開設の勅諭。1890年に国会を開くと政府が約束する。
1885
内閣制度内閣制度創設。初代首相・伊藤博文が就任。
1889
憲法発布大日本帝国憲法の発布(明治22年2月11日)。翌年の議会開設が定められる。
1890
総選挙第一回衆議院議員総選挙(7月1日)。有権者は全人口の約1.1%。
1890
議会開設第一回帝国議会の召集(11月25日)。民党が衆議院で多数を占め、政府と予算対立。
1894
日清戦争日清戦争勃発。外交・軍事の危機を前に政府と議会の協調が進む。
1925
普通選挙法普通選挙法成立。選挙権が満25歳以上の男性全員に拡大(約4倍の拡張)。
結果とその後
結果
日本に初めて議会政治が根付き、選挙・立法・予算審議という民主主義の基本的手続きが始まった。
選挙権は全人口の約1.1%の富裕男性に限られ、女性・農民・労働者は排除されていた。また天皇大権による制限が大きく、完全な議会主義には程遠い体制だった。
登場人物
人物

山県有朋

第一次内閣総理大臣(藩閥政府代表)

長州藩出身の軍人政治家。帝国議会開設時の首相として民党と激しく対立した。

伊藤博文

枢密院議長・憲法起草の中心人物

内閣制度創設・大日本帝国憲法起草を主導。第一回議会時は枢密院議長。

板垣退助

立憲自由党総理

自由民権運動の旗手。第一回議会では衆議院議員として政府と対峙した。

大隈重信

立憲改進党創設者

議会開設運動の一方の柱。第一回議会では民党として政府予算案に反対した。

明治天皇

大日本帝国憲法下の天皇(主権者)

憲法上の主権者。議会の立法は天皇の裁可が必要で、天皇大権が議会権限を制約した。

キーワード解説
用語
帝国議会
大日本帝国憲法に基づいて設置された日本初の国会。貴族院と衆議院の二院制で、1890年から1947年まで続いた。
民党
旧自由民権運動系の政党(立憲自由党・立憲改進党など)の総称。「政費節減・民力休養」を掲げ藩閥政府に対抗した。
政費節減・民力休養
民党が掲げたスローガン。政府の歳出を削って重税を軽くし、民衆の負担を和らげるべきという主張。
天皇大権
大日本帝国憲法で天皇に与えられた強大な権限。軍の統帥・条約の締結・議会の解散など、議会を超えた権能を持った。
貴族院
帝国議会の上院。皇族・華族・高額納税者・勅任議員で構成され、選挙を経ずに設置された。
衆議院
帝国議会の下院。選挙で選ばれた議員で構成され、第一回選挙では有権者が全人口の約1.1%に限定された。
もっと知りたい
豆知識

1有権者は「わずか約45万人」

第一回衆議院議員総選挙(1890年7月1日)の有権者数は約45万人。当時の日本の総人口は約4,000万人だったため、選挙権を持つのは全体の約1.1%にすぎなかった。これは「直接国税15円以上を納める満25歳以上の男性」という厳しい条件によるもの。普通選挙法(1925年)によって選挙権が満25歳以上の男性全員に拡大されるまで、35年の歳月がかかった。

2初代議長は中島信行

第一回衆議院の議長に就いたのは、旧自由党系の中島信行(なかじまのぶゆき)。民党が多数を占めていたため議長も民党系から選ばれた。

3議場は麹町(現・国会議事堂付近)にあった

第一回帝国議会が開かれた議事堂は、現在の国会議事堂がある千代田区永田町の木造仮議事堂。本格的な石造りの議事堂(現在の国会議事堂)が完成したのは1936年(昭和11年)のことである。

4政府は「詔勅」で民党を切り崩した

第一議会で民党に予算を大幅削減されそうになった山県内閣は、天皇の名による詔勅(しょうちょく)を活用し、民党議員の一部を切り崩して何とか予算を成立させた。初期議会はこうした政府と民党の綱引きが繰り返された。

5「民力休養」は農民の重税不満が背景

民党が掲げた「政費節減・民力休養」の背景には、地租改正(1873年)以来の農民への重い税負担があった。農村部の不満が自由民権運動を支え、選挙でも民党への票として現れた。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
帝国議会の開設は1890年(明治23年)。語呂は「い(1)や(8)く(9)れ(0)」で1890。
第一回衆議院議員総選挙の有権者は直接国税15円以上を納める満25歳以上の男性のみ(全人口の約1.1%)。
帝国議会は貴族院と衆議院の二院制。
初期議会では民党(立憲自由党・立憲改進党など)が「政費節減・民力休養」を掲げ、藩閥政府(第一次山県有朋内閣)と予算をめぐり対立した。
大日本帝国憲法の発布(1889年)→第一回帝国議会(1890年)の流れを確実に押さえる。前年に憲法発布、翌年議会開設。
語呂クイズ
「人は悔いなし、第一回帝国議会」= 第一回帝国議会は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 第一回帝国議会はいつ開かれましたか?
A. 1890年(明治23年)11月25日に召集されました。前年1889年に発布された大日本帝国憲法に基づく、日本初の国会です。
Q. 帝国議会はどんな仕組みでしたか?
A. 皇族・華族・勅任議員で構成される貴族院と、選挙で選ばれた衆議院の二院制でした。法案は両院を通過し、天皇の裁可を得る必要がありました。
Q. 第一回衆議院議員総選挙の選挙権は誰にありましたか?
A. 直接国税(地租など)を15円以上納める満25歳以上の男性のみです。有権者は約45万人で、全人口の約1.1%にすぎませんでした。女性は選挙権を持ちませんでした。
Q. 民党とは何ですか?
A. 旧自由民権運動系の政党(立憲自由党・立憲改進党など)の総称です。「政費節減・民力休養」を掲げ、藩閥政府の予算案に反対しました。
Q. 大日本帝国憲法発布(1889年)と帝国議会開設(1890年)の違いは何ですか?
A. 憲法発布は「法律として憲法を公布した」こと、議会開設は「その憲法に基づいて実際に国会を召集した」ことです。憲法が先に作られ、翌年に議会が開かれました。
まとめ

第一回帝国議会は、明治維新から20年以上かけて積み重ねた自由民権運動・憲法制定・内閣制度創設の集大成として開かれました。しかし選挙権は全人口の1.1%しかなく、天皇大権で議会権限は大きく制限されていました。それでも「政費節減・民力休養」を掲げた民党が藩閥政府に予算削減を迫った事実は、日本の議会政治の第一歩として重要です。「い(1)や(8)く(9)れ(0)=1890、第一回帝国議会」の語呂とともに、大日本帝国憲法(1889年)→帝国議会開設(1890年)という流れを確実に押さえましょう。

編集メモ(ファクト)
帝国議会の召集日は1890年11月25日。第一回衆議院議員総選挙は同年7月1日。
有権者数約45万人・全人口の約1.1%という数値は通説の概数。史料によって若干差異がある。
民党の定義は広義(旧自由・改進系)と狭義で異なる場合があるが、ここでは旧民権派系を民党と総称する通例の用法に従った。