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明治維新(戊辰戦争・五箇条の御誓文)の浮世絵イラスト
幕末の動乱 ④中学/政治
1868

明治維新(戊辰戦争・五箇条の御誓文)

西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允(維新三傑)、岩倉具視、明治天皇
語呂
覚え方
一夜むや(1868)むや、明治維新
一夜(18)むや(6)むや(8)、明治維新

1868年(慶応4年=明治元年)、江戸幕府にかわる新政府が樹立し、「明治」の時代が始まりました。新政府は三月に「五箇条の御誓文」を発して政治の基本方針を示し、旧幕府軍との戊辰戦争(1868〜1869年)を経て全国支配を確立します。江戸は東京と改称され、一世一元の制(天皇一代に元号一つ)が定められました。ただし「明治維新」という言葉は、この1868年という単年の出来事ではなく、1853年のペリー来航前後から1870年代の廃藩置県・地租改正・徴兵令にいたる一連の変革全体を指す歴史用語です。

この記事のポイント

  • 1868年(慶応4年)、五箇条の御誓文が発布され、新政府の基本方針が示された
  • 戊辰戦争(1868〜1869年)で新政府軍が旧幕府軍を破り、全国支配を確立
  • 江戸を東京と改称し、明治に改元(一世一元の制を採用)
  • 維新三傑(西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允)らが新政府の中核を担った
  • 「明治維新」は1868年単年ではなく、1853年前後〜1870年代の変革全体を指す
ここが面白い

「明治維新」はじつは1868年だけの出来事ではない。1853年の黒船来航から1870年代の諸改革までを含む、約20年がかりの大変革だった。

ここに至るまでの流れ
背景

明治維新は突然起きたわけではありません。1853年のペリー来航から始まる開国の衝撃が、「外国と対等に渡り合える強い国をつくらなければ」という機運を生み、その解として幕府打倒・天皇中心の新国家建設が選ばれた結果です。ここに至るまでの流れを順に見てみましょう。

開国がもたらした幕府権威の動揺

1853年のペリー来航で、幕府は朝廷(天皇)に報告し諸大名にも意見を求めました。これは200年以上続いた幕府の専権事項を「諸方に相談する」前例を作ってしまったことを意味します。さらに1858年、大老・井伊直弼が朝廷の許可なしに日米修好通商条約に調印したことは「天皇を無視した」として猛反発を招き、幕府の権威はさらに揺らぎました。

尊王攘夷から倒幕へ

「天皇を尊び、外国を追い払え」という尊王攘夷運動が全国に広まりましたが、実際には西洋の軍事力を目の当たりにした薩摩・長州の両藩は、攘夷(鎖国回帰)が不可能だと悟ります。代わりに「天皇を奉じて幕府を倒し、新しい政府をつくる」倒幕運動へと方向を転換しました。1866年には薩摩と長州が坂本龍馬らの仲介で薩長同盟を結び、倒幕への共闘体制を整えます。

大政奉還と王政復古の大号令(1867年)

1867年10月、15代将軍・徳川慶喜は政権を朝廷に返す「大政奉還」を行いました。これは武力討幕の口実を奪う一手でしたが、同年12月、岩倉具視ら公家と薩長が主導して「王政復古の大号令」を発し、徳川家を含む旧体制を廃して天皇親政の新政府樹立を宣言します。新政府は徳川慶喜に領地返上(辞官納地)を求め、ここに旧幕府側との対立が決定的になりました。

戊辰戦争の勃発(1868年〜1869年)

1868年1月、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍と新政府軍が衝突し、戊辰戦争が始まりました。新政府軍(官軍)は「錦の御旗」を掲げ朝廷の権威を後ろ盾に進軍。旧幕府軍は次々と敗退し、4月には江戸城が無血開城されます。その後も東北・箱館(北海道)での戦いが続きましたが、1869年5月の箱館戦争終結をもって戊辰戦争は幕を閉じ、新政府の全国支配が確立しました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

五箇条の御誓文の発布

≒ 新政府の憲法前文・施政方針演説

1868年3月、明治天皇が神々に誓う形で発布した新政府の基本方針5か条。「広く会議を興し万機公論に決すべし」など、開明的な政治姿勢を内外に示した。

江戸の東京改称と明治への改元

≒ 首都移転と新時代の宣言

1868年7月に江戸を「東京」と改称。9月に「明治」と改元し、一世一元の制(天皇一代に元号一つ)を定めた。慶応4年=明治元年となる。

版籍奉還への布石

≒ 藩の権限を国に返上させる地方分権解消

戊辰戦争後、新政府は諸藩の土地と人民(版と籍)を天皇に返させる版籍奉還(1869年)を進め、中央集権国家への道を開いた。翌1871年には廃藩置県へと至る。

前後のできごと
年表
1853
黒船来航ペリーが浦賀に来航。幕府の権威動揺が始まる。
1858
不平等条約日米修好通商条約を無勅許で調印。尊王攘夷運動が激化。
1866
薩長同盟薩摩・長州が倒幕の共闘体制を結ぶ。
1867
大政奉還・王政復古10月に大政奉還、12月に王政復古の大号令。幕府体制の終焉。
1868
明治維新五箇条の御誓文発布。戊辰戦争(鳥羽伏見)。江戸を東京と改称、明治に改元。
1869
戊辰戦争終結・版籍奉還箱館戦争終結で全国統一完成。版籍奉還で藩の権限を返上。
1871
廃藩置県藩を廃して府県を置く。中央集権体制が確立。
1873
地租改正・徴兵令近代的税制と国民皆兵制度の導入。富国強兵が本格化。
結果とその後
結果
江戸幕府に代わる天皇中心の明治政府が樹立され、近代国家への大転換が始まった。富国強兵・文明開化の政策が日本を急速に近代化させた。
急速な近代化は旧武士階級(士族)の特権剥奪を招き、1877年の西南戦争など士族の不満による反乱を生んだ。また不平等条約の改正は明治後半まで長引いた。
登場人物
人物

西郷隆盛

薩摩藩出身・維新三傑の一人

戊辰戦争では官軍を指揮し江戸城無血開城を実現。のちに新政府と対立し、1877年の西南戦争で敗死。

大久保利通

薩摩藩出身・維新三傑の一人

維新後に内政・殖産興業の中心を担った。「維新の大久保」とも呼ばれる実力者。1878年に暗殺される。

木戸孝允(桂小五郎)

長州藩出身・維新三傑の一人

薩長同盟や五箇条の御誓文の起草に関与。廃藩置県など新政府の制度整備に貢献。

岩倉具視

公家・新政府の指導者

王政復古の大号令を主導。維新後は右大臣として新政府を統率し、岩倉使節団(1871年)を率いた。

明治天皇

第122代天皇・新政府の象徴

1852年生まれ、1867年に即位。五箇条の御誓文を神々に誓う形で新政府の方針を示した。

徳川慶喜

江戸幕府15代(最後の)将軍

1867年に大政奉還を断行。戊辰戦争では鳥羽・伏見の敗戦後に江戸へ退き、江戸城を新政府に明け渡した。

キーワード解説
用語
五箇条の御誓文
1868年3月に明治天皇が発した新政府の基本方針5か条。「広く会議を興し万機公論に決すべし」など開明的な内容。木戸孝允らが起草した。
戊辰戦争
1868〜1869年に新政府軍と旧幕府軍が戦った内戦。鳥羽・伏見の戦いに始まり、箱館(北海道)での戦いで終結した。
王政復古の大号令
1867年12月、岩倉具視らが発した宣言。幕府・摂政・関白を廃し、天皇親政の新政府樹立を宣言した。
一世一元の制
天皇一代に元号を一つとする制度。1868年の明治改元から採用され、「明治・大正・昭和・平成・令和」と続く。
維新三傑
明治維新を主導した西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允の三人を指す呼び名。薩摩と長州の中心人物。
もっと知りたい
豆知識

1江戸城は「無血」で明け渡された

戊辰戦争最大の山場は江戸城攻略だった。西郷隆盛と旧幕臣・勝海舟の会談によって江戸城は戦わずして新政府に引き渡された。当時の江戸の人口は百万人を超えており、もし市街戦になっていれば甚大な被害が出ていたとされる。

2慶応4年と明治元年は同じ年

1868年は慶応4年として始まったが、9月の改元で明治元年になった。つまり「慶応4年1月の鳥羽・伏見の戦い」と「明治元年9月の東京改称」は同じ1868年の出来事。試験では「慶応4年=明治元年」の対応を混同しないよう注意。

3「錦の御旗」は偽物?

戊辰戦争で官軍が掲げた「錦の御旗(にしきのみはた)」は、薩摩藩が急ごしらえで作ったとも言われる。ただしこの旗を掲げることで旧幕府軍は「朝敵(天皇に逆らう賊軍)」となり、各地の藩が続々と官軍側に寝返るきっかけになった。旗のシンボルが持つ政治的力は絶大だった。

4「明治維新」という言葉の成立

「明治維新」という呼び名自体は、明治時代の末〜大正期に定着したとされる。1868年当時の人々は「御一新(ごいっしん)」と呼んでいた。現在では1853年前後から1870年代の一連の変革をまとめて「明治維新」と称するのが通例。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
五箇条の御誓文は1868年3月。新政府の基本方針(「広く会議を興し…」)を示したもの。
戊辰戦争は1868〜1869年。鳥羽・伏見の戦いで始まり、箱館戦争の終結で終わる。
江戸→東京の改称と明治への改元はともに1868年(慶応4年=明治元年)。
「明治維新」は1868年単年ではなく、1853年前後〜1870年代の変革全体を指す語。
維新三傑は西郷隆盛(薩摩)・大久保利通(薩摩)・木戸孝允(長州)。
語呂クイズ
「一夜むや(1868)むや、明治維新」= 明治維新(戊辰戦争・五箇条の御誓文)は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 明治維新はいつの出来事ですか?
A. 狭義には1868年(慶応4年=明治元年)の五箇条の御誓文・戊辰戦争・明治改元などを指しますが、広義には1853年のペリー来航から1870年代の廃藩置県・地租改正・徴兵令までを含む一連の変革を「明治維新」と呼びます。
Q. 五箇条の御誓文とは何ですか?
A. 1868年3月、明治天皇が神々に誓う形で発布した新政府の基本方針5か条です。「広く会議を興し万機公論に決すべし」などの内容が含まれ、木戸孝允らが起草しました。
Q. 戊辰戦争はなぜ起きたのですか?
A. 王政復古の大号令で新政府が成立した後、旧幕府側と新政府側の対立が武力衝突に発展しました。1868年1月の鳥羽・伏見の戦いが始まりで、1869年5月の箱館戦争終結まで続きました。
Q. 維新三傑とは誰ですか?
A. 西郷隆盛(薩摩藩)・大久保利通(薩摩藩)・木戸孝允(長州藩)の三人です。明治維新を主導した中心人物として知られています。
Q. 明治維新の後、日本はどう変わりましたか?
A. 廃藩置県(1871年)で中央集権体制が整い、地租改正・徴兵令(1873年)で近代的な税制と国民皆兵制が導入されました。文明開化・富国強兵の政策のもと、西洋の制度・文化を積極的に取り入れ、急速な近代化が進みました。
まとめ

明治維新は「1868年に起きた革命」ではなく、1853年のペリー来航から約20年をかけて日本社会が大きく変わった変革の総称です。五箇条の御誓文・戊辰戦争・明治改元という1868年の出来事はその最重要ポイントですが、その後の廃藩置県・地租改正・西南戦争まで含めて全体像をつかむことが大切です。語呂「一夜むや(1868)むや、明治維新」で年号を押さえつつ、維新三傑の名前と、この変革が近代日本の出発点であることをあわせて記憶しておきましょう。

編集メモ(ファクト)
「明治維新」は単年の事件ではなく1853年前後〜1870年代の一連の変革を指す語であり、lead・conclusionでこの点を明記した。
1868年の出来事として確実なもの(五箇条の御誓文・鳥羽伏見の戦い・江戸城無血開城・江戸→東京改称・明治改元)のみを記載した。
戊辰戦争の終結(箱館戦争)は1869年5月であり、1868年完結ではない点をtimeline・background・faqで明確にした。
「錦の御旗は偽物」説はtriviaで紹介しつつ断定を避けた表現にしている。