
大久保利通
おおくぼ・としみち 1830–1878 / 幕末〜明治・政治家
明治国家をつくった維新三傑基本データ
- よみ
- おおくぼ・としみち
- 生没年
- 1830–1878
- 別名・号
- 甲東(号)、一蔵(通称)
- 出身(藩)
- 薩摩藩(現在の鹿児島県)
- おもな地位・役職
- 明治新政府の参議、初代内務卿、大蔵卿
- 所属(藩閥・政党)
- 薩摩藩士(薩摩閥の中心人物)
- 最期
- 紀尾井坂の変で暗殺される
どんな人?
大久保利通(おおくぼ・としみち)は、薩摩藩出身で明治政府の最高実力者となった政治家であり、西郷隆盛・木戸孝允とともに維新三傑の一人に数えられます。幕末には岩倉具視と連携して王政復古を計画・実行しました。
1868年の明治維新後は内政と殖産興業の中心を担い、1871年の廃藩置県を主導。1873年の地租改正では参議・内務卿として富国強兵政策を強力に推し進めました。征韓論に反対して西郷らを退け、藩閥政府の中心人物となります。
1877年の西南戦争ではかつての同志・西郷と対峙する政府側の実質的指導者として鎮圧を指揮しました。しかし翌1878年に暗殺され、その生涯を閉じます。中央集権的な近代国家の骨格を築いた功績は大きく、「維新の大久保」と称されました。
おもな業績・つくったもの
- 廃藩置県を主導し中央集権を確立(1871年)1871年、藩を廃止して府県を置く改革を主導し、旧藩主の知藩事を罷免。統治権を中央政府に集める体制を確立した。
- 内務卿として殖産興業政策を推進内務卿として官営工場の設立などを進め、国家主導で近代産業を育てる殖産興業政策を推し進めた。
- 地租改正で近代的税制を整備(1873年)1873年、地価を基準に地租を金銭で納めさせる税制を整えた。米納から金納への転換で政府財政を安定させた。
- 岩倉使節団の副使として欧米を視察岩倉具視を全権とする使節団に副使として加わり欧米を視察。制度や産業を学び、帰国後の内政改革に活かした。
- 内務省を創設し行政の要を握る内務省を創設して初代内務卿となり、地方行政・警察・殖産興業を統括。政府の実権を握って国内政治を主導した。
生涯のあゆみ(年表)
- 1830薩摩藩士の家に生まれる。
- 1867討幕・王政復古に向けた工作の中心として動く。解説を見る →
- 1868戊辰戦争を経て明治新政府の中枢を担う。解説を見る →
- 1871廃藩置県の断行を主導し、中央集権化を進める。解説を見る →
- 1871岩倉使節団の一員として欧米を視察する。
- 1873征韓論に反対し、内治優先を主張して西郷らと対立。
- 1873内務卿となり、地租改正など殖産興業政策を推進。解説を見る →
- 1878紀尾井坂の変で不平士族に襲われ暗殺される。
ゆかりの地
紀尾井坂東京都大久保が暗殺された紀尾井坂の変の現場付近とされる。
豆知識
紀尾井坂で暗殺された政治家
維新三傑の一人で明治政府の実権を握った大久保は、1878年に東京の紀尾井坂で不平士族に襲われ暗殺された。西南戦争の翌年の出来事だった。
維新三傑の一人
大久保利通は西郷隆盛・木戸孝允とともに「維新三傑」と呼ばれる。三人はいずれも明治初期に世を去り、その死は維新第一世代から次世代への交代の節目とされる。
人物相関
大久保利通
よくある質問
大久保利通は何をした人?
薩摩藩出身で、明治維新を主導した中心人物の一人です。新政府では内務卿として廃藩置県や地租改正、殖産興業など中央集権的な国づくりを進めましたが、1878年に紀尾井坂の変で暗殺されました。
大久保利通が進めた政策は?
内務卿として地租改正や殖産興業を推進し、官営工場の設置などを通じて近代産業の育成に力を入れました。廃藩置県による中央集権化にも中心的に関わったとされます。
紀尾井坂の変とは何ですか?
1878年に大久保利通が東京の紀尾井坂付近で不平士族に襲われ暗殺された事件です。維新の中心人物の一人が政府批判の中で命を落とした出来事として知られます。