
西郷隆盛
- よみ
- さいごう・たかもり
- 生没年
- 1828–1877
- 別名・号
- 南洲(号)、吉之助(通称)
- 出身(藩)
- 薩摩藩(現在の鹿児島県)
- おもな地位・役職
- 明治新政府の参議、陸軍大将、近衛都督
- 所属(藩閥・政党)
- 薩摩藩士(薩摩閥の中心人物)
- 最期
- 西南戦争で敗れ、城山で自刃
どんな人?
西郷隆盛(さいごう・たかもり)は、幕末から明治にかけて活躍した薩摩藩出身の政治家で、大久保利通・木戸孝允とともに維新三傑の一人に数えられる英雄です。1866年の薩長同盟では薩摩藩を代表して交渉を担い、倒幕運動を牽引しました。
1867年の大政奉還・王政復古を経て、戊辰戦争では官軍を指揮し江戸城の無血開城を実現。新政府では参議となり、1871年の廃藩置県にも軍事面で協力しました。
しかし征韓論をめぐる政変で下野し、鹿児島で私学校を設立。1877年、士族らの挙兵に押される形で西南戦争を起こし、城山で自決しました。近代日本の礎を築きながら、旧士族の象徴として散った生涯は今も語り継がれています。
おもな業績・つくったもの
- 薩長同盟の締結に薩摩側として尽力(1866年)1866年、坂本龍馬らの仲介で薩摩藩を代表して長州藩と軍事同盟を結んだ。対立していた両藩の提携は倒幕への大きな転機となった。
- 戊辰戦争で新政府軍を指揮し倒幕を実現鳥羽・伏見の戦いに始まる新政府軍と旧幕府軍の内戦で参謀として軍を率い、旧幕府勢力を破って倒幕を成し遂げた。
- 江戸城の無血開城を実現旧幕府側の勝海舟と会談し、戦火を交えずに江戸城を新政府へ明け渡させた。江戸を戦乱から救った交渉として知られる。
- 廃藩置県を推進し中央集権化を進める1871年、藩を廃して府県を置く改革を軍事力を背景に支え、藩に分かれていた統治を中央政府に一本化する体制づくりを進めた。
- 西南戦争で士族反乱の指導者に(1877年)特権を失った鹿児島の士族らに擁され、1877年に政府へ反乱を起こしたが敗れて自決。日本最大の士族反乱となった。
生涯のあゆみ(年表)
- 1828薩摩藩の下級藩士の家に生まれる。
- 1866薩長同盟の成立に薩摩側の中心として関わる。解説を見る →
- 1867大政奉還後、討幕・王政復古の中心的な指導者となる。解説を見る →
- 1868戊辰戦争で新政府軍を率い、江戸城の無血開城を実現。解説を見る →
- 1871廃藩置県の断行に参議として尽力する。解説を見る →
- 1873征韓論をめぐる政変に敗れ、参議を辞して鹿児島へ帰郷。
- 1877士族らに擁立され西南戦争を起こし、城山で自刃。解説を見る →
名言
ゆかりの地
豆知識
江戸を戦火から救った会談
戊辰戦争で西郷は旧幕臣の勝海舟と会談し、江戸城を戦わずに明け渡させた。百万都市江戸を市街戦の惨禍から救った無血開城として知られる。
座右の銘は敬天愛人
西南戦争に敗れた西郷は明治末に名誉回復された。「天を敬い人を愛する」という敬天愛人は彼の座右の銘とされ、今も鹿児島の精神的象徴となっている。
写真嫌いで確かな肖像が残らない
西郷は写真を撮られることを好まず、確実に本人と分かる写真は残っていないとされる。よく知られる肖像画は後年に関係者の面影をもとに描かれたものと伝わる。
人物相関
よくある質問
西郷隆盛は何をした人?
薩摩藩出身の武士で、薩長同盟や戊辰戦争を通じて討幕・明治維新を主導した人物です。新政府の参議を務めた後、征韓論政変で下野し、のちに西南戦争を起こして城山で自刃しました。
西郷隆盛が江戸城無血開城で果たした役割は?
戊辰戦争で新政府軍を率いる立場にあり、旧幕府側の勝海舟との会談を経て、江戸城を戦火を交えず明け渡す無血開城が実現したと伝えられます。
西南戦争とは何ですか?
1877年に鹿児島の士族らが西郷隆盛を擁して起こした、明治期最大の士族反乱です。政府軍に鎮圧され、西郷は城山で自刃し、これ以後は武力による反政府の動きが収束していきました。