
桂太郎
かつら・たろう 1848–1913 / 明治・政治家
日露戦争期を率いた首相基本データ
- よみ
- かつら・たろう
- 生没年
- 1848–1913
- 別名・号
- 「ニコポン宰相」とも呼ばれた
- 出身(藩)
- 長州藩(現在の山口県)
- おもな地位・役職
- 陸軍軍人、内閣総理大臣(三度)
- 所属(藩閥・政党)
- 長州藩出身(長州閥・軍部)、のちに立憲同志会を組織
- 代表的な立場
- 桂園時代を担った首相
どんな人?
桂太郎(かつら・たろう)は、明治後期に三度首相を務め、日露戦争期を率いた政治家です。長州出身で山縣有朋の系譜に連なり、1902年の日英同盟を採用しました。
1904年の日露戦争では開戦時の首相として戦時内閣を率い、ポーツマス条約の締結まで指導。1910年の韓国併合も内閣総理大臣として推進しました。
おもな業績・つくったもの
- 日露戦争開戦時の首相として戦時内閣を率いる(1904年)1904年に始まった日露戦争で首相として戦時内閣を率い、対ロシアの戦争遂行を政府の中心で指揮した。
- ポーツマス条約の締結を指導(1905年)1905年、米大統領の仲介による日露講和を政府として進め、樺太南部の割譲などを得たポーツマス条約の締結を指導した。
- 首相として韓国併合を推進(1910年)1910年、首相として韓国併合条約の調印を進めた。韓国は「朝鮮」と改称され、朝鮮総督府による統治が始まった。
生涯のあゆみ(年表)
- 1848長州藩士の家に生まれる。
- 1901第一次桂内閣を組織し、内閣総理大臣となる。
- 1902総理大臣として日英同盟の締結にあたる。解説を見る →
- 1904総理大臣として日露戦争の開戦を迎える。解説を見る →
- 1910総理大臣として韓国併合を行う。解説を見る →
- 1913第三次内閣が民衆運動の高まりの中で短期間で退陣し、まもなく死去。
豆知識
日英同盟と日露戦争の首相
桂は1902年の日英同盟締結、1904年の日露戦争開戦時に首相を務めた。西園寺公望と交互に政権を担い「桂園時代」と呼ばれた。
三度の組閣は歴代でも屈指
桂太郎は通算で三度、内閣総理大臣を務めた。在任期間の合計も長く、明治後期から大正初めにかけて政界の中心にあった人物として知られる。
人物相関
桂太郎
よくある質問
桂太郎は何をした人?
長州藩出身の軍人・政治家で、通算三度にわたり内閣総理大臣を務めた人物です。日英同盟の締結や日露戦争、韓国併合の時期に政府を率い、西園寺公望と交互に政権を担う「桂園時代」を築きました。
桂園時代とは何ですか?
20世紀初頭に、桂太郎と西園寺公望が交互に内閣を組織して政権を担った時期を指します。両者の名字の一字ずつをとって「桂園時代」と呼ばれます。
桂太郎の内閣で起きた主な出来事は?
桂太郎の内閣期には、日英同盟の締結、日露戦争の遂行、韓国併合など、近代日本の対外関係に関わる重要な出来事が相次ぎました。