奈良時代の国家体制 ①高校/社会
708
和同開珎の鋳造
元明天皇(鋳造命令)・武蔵国司(銅の献上)
語呂
覚え方
なおやっと貨幣、和同開珎
なお(7・0)や(8)っと貨幣、和同開珎
708年(慶雲5年→和銅元年)、武蔵国秩父郡から自然銅が献上されたことを祝い、元明天皇は元号を「和銅」と改元しました。同年、朝廷はこの銅を用いて「和同開珎」を鋳造・発行します。律令国家が流通を担う本格的な貨幣の登場です。翌710年の平城京遷都とも連動し、都市経済・租税制度を支える基盤となりました。711年には「蓄銭叙位令」が出され、一定量の銭を蓄えた者に位階を与えるという異例の政策で流通の促進を図りました。和同開珎は「皇朝十二銭」の第一号とされ、以後約250年にわたって発行された皇朝銭の出発点です。
この記事のポイント
- 708年、武蔵国(秩父)から献上された銅を機に元号「和銅」と改元
- 和同開珎(銀銭・銅銭)を鋳造・発行。律令国家初の本格流通貨幣
- 富本銭(7世紀後半・天武朝)が先行するが、全国流通を意図した最初の貨幣は和同開珎とする見方が主流
- 711年、蓄銭叙位令を発布し、銭の蓄積者に位階を与えて流通を促した
- 皇朝十二銭の第一とされ、乾元大宝(958年)まで続く皇朝銭の起点
ここが面白い「和同開珎」は日本最古の貨幣ではない。それより前に「富本銭」が存在していた。
和同開珎は突然現れたわけではありません。日本列島での貨幣の萌芽は7世紀後半にさかのぼり、律令制度の整備という大きな流れのなかで登場しました。
富本銭――日本最古の貨幣問題
1998年、奈良県飛鳥池遺跡の発掘調査で「富本銭」が大量に出土し、天武朝(7世紀後半)に鋳造されたことが判明しました。和同開珎より数十年先行する銭貨です。ただし富本銭は出土範囲が限られ、呪術・儀礼用だった可能性も指摘されています。全国的な経済流通を意図した最初の貨幣としては、依然として和同開珎が重視されます。
律令制の整備と貨幣の必要性
701年の大宝律令によって律令国家の骨格が整い、中央集権的な財政が求められるようになりました。絹・布・米などの現物による取引は重くかさばり、遠距離輸送のコストも大きい。銭貨によって税の納付や官人給与を合理化しようという機運が高まりました。
武蔵国から銅が献上される
708年、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市付近)から自然銅が朝廷に献上されました。律令国家にとって銅の国内調達は悲願であり、朝廷はこれを吉兆として元号を「慶雲」から「和銅」に改め、新たな貨幣の発行に踏み切ります。
平城京遷都との連動
710年、元明天皇は都を藤原京から平城京(現在の奈良市)へ遷します。人口が急増する新都市では市場経済が発達し、貨幣の需要は一気に高まりました。和同開珎の発行はこの遷都計画と一体のプロジェクトだったと理解されています。
銀銭・銅銭の二段階発行
≒ 額面の異なる通貨単位の発行最初に銀製の和同開珎が発行され、その後に銅製が続いた。銅銭が主流となって広く流通した。
蓄銭叙位令(711年)
≒ 貨幣普及のためのインセンティブ政策一定額以上の銭を蓄えた者に対し、身分(位階)を与えるという異例の施策。銭を使わず蓄えさせることで民間に銭を行き渡らせる狙いがあった。
皇朝十二銭の第一
≒ 国家が発行する通貨シリーズの第一弾和同開珎を皮切りに、乾元大宝(958年)まで12種類の皇朝銭が発行された。ただし後期の銭は品質が低下し、実質的な流通は10世紀以降に衰退した。
694藤原京藤原京への遷都。律令国家の首都が整備され始める。
701大宝律令大宝律令制定。律令国家の基本法が完成し、中央集権体制が確立。
708和同開珎武蔵国から銅が献上され「和銅」と改元。和同開珎(銀銭・銅銭)を鋳造・発行。
710平城京遷都元明天皇が平城京へ遷都。奈良時代の幕開け。
711蓄銭叙位令銭を蓄えた者に位階を与える蓄銭叙位令を発布。貨幣流通の促進を図る。
958乾元大宝皇朝十二銭の最後、乾元大宝が発行される。以後、皇朝銭の発行は途絶える。
◎律令国家初の本格流通貨幣として、平城京を中心とした都市経済・官僚制財政を支えた。皇朝十二銭の起点となり、国家主導の貨幣制度が約250年続いた。
△蓄銭叙位令に見られるように、銭の流通は強制的な措置なしには進まなかった。農村部では物々交換が長く続き、貨幣経済の浸透には限界もあった。
元明天皇
第43代天皇和銅への改元・和同開珎の発行・平城京遷都(710年)を断行した女帝。律令国家体制の完成期を担った。
藤原不比等
右大臣・律令整備の中心人物大宝律令・養老律令の編纂を主導し、律令国家の制度設計全体を牽引した。貨幣政策の背景にも不比等の構想があったとされる。
- 和同開珎
- 708年に発行された律令国家初の本格流通貨幣。読みは「わどうかいちん」または「わどうかいほう」の両論がある(後述)。
- 皇朝十二銭
- 708年の和同開珎から958年の乾元大宝まで、朝廷が発行した12種の銅銭の総称。
- 蓄銭叙位令
- 711年に出された法令。一定量の銭を蓄えた者に位階を授ける、という貨幣普及策。
- 富本銭
- 天武朝(7世紀後半)に鋳造されたとされる銭貨。1998年に飛鳥池遺跡で大量出土。日本最古の貨幣の有力候補だが、流通目的については諸説ある。
1「開珎」の読み方は今も決着していない
「開珎」の「珎」は「珍」の異体字。「ちん」と読めば「わどうかいちん」、「ほう(宝)」と読めば「わどうかいほう」となる。現在の教科書・辞典でも両論が併記されることがあり、正式な読みは未確定のままです。
2秩父の銅が「元号」を生んだ
武蔵国秩父(現・埼玉県秩父市)から献上された自然銅は「和銅」という元号の直接の由来です。この地の銅山(和銅遺跡)は現在も残り、地元の観光名所となっています。
3銀銭のほうが先に発行された
一般に「銅銭」のイメージが強い和同開珎ですが、実は銀製のものが先に発行されました。しかし銀は希少で高価なため、実用的な銅銭が後から発行されて広く流通しました。
4蓄銭叙位令は「使わずに貯めさせる」奇策
普及させたいなら「使わせる」はずですが、朝廷はあえて「貯めた人に褒美(位階)を与える」仕組みを作りました。これにより民間に銭が行き渡り、結果として流通が広がることを狙った政策です。
5富本銭との「最古論争」
1998年の飛鳥池遺跡発掘以前は和同開珎が「日本最古の貨幣」とされていました。富本銭の発見でその座が揺らぎましたが、全国規模の流通を意図した点で和同開珎を「最初の本格通貨」と位置づける考え方は今も有力です。

ここが出る博士のワンポイント
年号は708年。語呂は「なおやっと(708)貨幣、和同開珎」。
読みは「わどうかいちん/わどうかいほう」両論あり。試験では「わどうかいちん」が多いが、どちらでもよいとする場合もある。
富本銭(天武朝・7世紀後半)との違いを問われることがある。富本銭が先行するが、全国流通の最初の貨幣は和同開珎とされる。
蓄銭叙位令は711年。和同開珎(708年)・平城京遷都(710年)・蓄銭叙位令(711年)の順番を整理しておくこと。
和同開珎は「皇朝十二銭」の第一とされる点を押さえる。
語呂クイズ
「なおやっと貨幣、和同開珎」= 和同開珎の鋳造は西暦何年?
- Q. 和同開珎はなぜ作られたのですか?
- A. 律令国家が中央集権的な財政運営を行うため、税の徴収や官人給与などを現物から貨幣へ移行させる目的で鋳造されました。平城京遷都(710年)による都市経済の拡大とも連動しています。
- Q. 富本銭と和同開珎の違いは何ですか?
- A. 富本銭は天武朝(7世紀後半)に鋳造されたと考えられ、日本最古の銭貨の有力候補です。ただし出土範囲が限られ、呪術・儀礼用との説もあります。和同開珎は全国流通を目的とした最初の本格貨幣とされています。
- Q. 蓄銭叙位令とは何ですか?
- A. 711年に出された法令で、一定量の銭を蓄えた者に位階(身分)を与えるというものです。貨幣流通を促すための異例のインセンティブ政策でした。
- Q. 和同開珎の読み方はどれが正しいですか?
- A. 「わどうかいちん」と「わどうかいほう」の両方が使われており、現在も学術的に決着していません。入試では「わどうかいちん」と読ませる問題が多いですが、注記として両論があることを覚えておきましょう。
- Q. 皇朝十二銭とは何ですか?
- A. 708年の和同開珎から958年の乾元大宝まで、朝廷が発行した12種の銅銭の総称です。和同開珎がその第一とされています。
和同開珎は単なる「お金のはじまり」ではなく、律令国家が国内の銅を活用し、平城京という新都市の経済を動かそうとした国家プロジェクトの産物です。富本銭との「最古論争」や蓄銭叙位令という奇策、そして皇朝十二銭の出発点という位置づけ――いずれも律令国家の設計思想を映した鏡です。「なおやっと(708)貨幣、和同開珎」の語呂とともに、年号・関連政策・富本銭との違いをセットで押さえましょう。
編集メモ(ファクト)
読みは「わどうかいちん」「わどうかいほう」両論あり。「珎」は「珍」の異体字で、音読みに「ちん」「ほう(宝の代替)」両説がある。入試では「わどうかいちん」が多いが、どちらでもよいとする出題も存在する。
富本銭(天武朝・7世紀後半)は飛鳥池遺跡出土により先行する銭貨と判明しているが、流通目的か儀礼目的かは諸説あり、全国流通の最初とは言いきれないとするのが現在の多数説。
蓄銭叙位令の年は711年(和銅4年)。和同開珎(708年)・平城京遷都(710年)・蓄銭叙位令(711年)の3点セットで出題されることが多い。