
1573年(天正元年)、織田信長は15代将軍・足利義昭を京都から追放しました。これにより、1338年の足利尊氏以来、約240年続いた室町幕府は事実上の終焉を迎えます。もともと信長を後ろ盾に将軍の座に就いた義昭でしたが、やがて信長への対抗心を強め、各地の大名に信長打倒を呼びかける「将軍御内書」を送るなど対立を深めました。信長は義昭を槙島城(現在の京都府宇治市)で包囲して降伏させ、京都から追放。義昭はその後も各地を転々としながら将軍の名にこだわり続けましたが、実権は完全に失われ、室町幕府は名実ともに終わりました。
将軍を京から追い出した信長は、自らは将軍にならなかった。約240年続いた室町幕府の終わりは、あっけないほど静かだった。
室町幕府の滅亡は突然起きたことではありません。1467年の応仁の乱以降、幕府の権威は急速に低下し、全国に戦国大名が割拠する時代が続いていました。信長による義昭追放は、長い衰退の「最終局面」として起きた出来事です。その流れを追ってみましょう。
1467年に始まった応仁の乱は約11年にわたって続き、京都を焼け野原にしました。この乱を境に室町幕府の統治力は急速に失われ、守護大名に代わって実力で領国を支配する戦国大名が各地に台頭します。幕府の将軍はいれど、実際に全国を動かす力はすでに失われていたのです。
14代将軍・足利義栄が没した1568年、織田信長は足利義昭を奉じて上洛を果たしました。信長の軍事力を背景に義昭は15代将軍の座に就きますが、これは信長にとって「天下布武」を進めるための権威として将軍を利用する構図でもありました。
義昭は次第に傀儡扱いを不満とし、武田信玄・朝倉義景・浅井長政・三好氏・一向一揆などに働きかける「信長包囲網」を形成しようとしました。1573年初頭には武田信玄が西上作戦を開始し、信長は一時苦境に立たされます。しかし同年4月に信玄が陣中で病死し、信長包囲網は瓦解しました。
信長包囲網が崩れると、信長は義昭を槙島城(山城国)で包囲。義昭は降伏して京都を退去し、河内・備後などを転々とした後、備後鞆(とも)の浦を拠点に将軍の名を保ち続けました。しかし実権は完全になく、1573年をもって室町幕府は事実上滅亡したとされます。
1573年4月に武田信玄が病死したことで、各地の大名が連携して信長を追い詰める構図が崩れた。信長はこの機を逃さず義昭との決着に踏み切った。
信長は義昭が籠もる槙島城を包囲。圧倒的な軍事力の差から義昭は降伏し、7月に京都を退去した。戦闘は短期間で終わり、大きな合戦にはならなかった。
義昭追放後、信長は自らが将軍に就くことはなく、独自の政権「安土政権」を形成していく。室町体制が終わり、天下統一に向けた織豊政権の時代が始まった。
信長に擁立されて将軍となるが、傀儡扱いを不満として各地に信長打倒を呼びかける。1573年に追放され、約240年続いた室町幕府の最後の将軍となった。
「天下布武」を掲げて上洛し、義昭を将軍に据えた後、対立が深まると義昭を追放。室町幕府に終止符を打ち、天下統一の基盤を築いた。
1573年に西上作戦を展開して信長を追い詰めたが、同年4月に陣中で病死。その死が信長包囲網の崩壊につながった。
1338年に征夷大将軍に就任し室町幕府を開いた。義昭の追放により、その幕府は約240年で幕を閉じることになった。
京を追われた義昭は、毛利氏の庇護を受けながら備後鞆(現在の広島県福山市)を拠点に活動した。1576年頃には鞆幕府(とものばくふ)とも呼ばれる体制をつくり、各地の大名に書状を送り続けた。信長死後の1582年以降も将軍の地位にこだわり、豊臣秀吉の時代になってようやく将軍職を辞した(1588年頃とされる)。
義昭追放と同じ1573年、信長は「元亀」という元号を「天正」に改元させた。幕府や朝廷が主導してきた改元を戦国大名が事実上主導したことは、新しい時代の到来を象徴するともいわれる。
1573年初頭、武田信玄は3万ともいわれる大軍で西上作戦を展開し、1月には徳川軍を三方ヶ原の戦いで大敗させ(1572年末)、信長は苦境に立たされた。しかし信玄は同年4月に陣中で53歳で病死。この「信玄の死」がなければ義昭追放のタイミングも変わっていたとみられる。
1338年の開府から1573年の義昭追放までは235年。江戸幕府(1603〜1867年、約265年)と比べると少し短く、鎌倉幕府(1185〜1333年ごろ、約150年)よりは長い。三大幕府の中で「中間」の長さを誇った。
義昭を追放した後、信長は自ら征夷大将軍に就くことはなかった。なぜ将軍にならなかったのかについては「源氏の血統でないから就けなかった」「将軍という旧来の権威にとらわれなかった」など複数の説があり、史家の間でも議論が続く。

室町幕府の滅亡は、単に「将軍が追われた」だけの出来事ではありません。1467年の応仁の乱で始まった約100年にわたる戦国時代の混乱が、信長という強大な権力者によって「一つの区切り」を迎えた瞬間でした。語呂「以後涙(1573)の室町幕府」とともに、開府(1338年・足利尊氏)から約240年の歴史に幕を下ろした年として確実に押さえておきましょう。その後の信長・秀吉・家康による天下統一への道は、ここから始まります。