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終戦(ポツダム宣言受諾)の浮世絵イラスト
昭和の戦争と戦後 ③中学/戦乱
1945

終戦(ポツダム宣言受諾)

昭和天皇・鈴木貫太郎(内閣総理大臣)・東郷茂徳(外務大臣)
語呂
覚え方
行く世(1945)を継ぐ、終戦へ
いく(19)よ(4)ご(5)

1945年(昭和20年)、日本はアメリカ・イギリス・中国が発したポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦(太平洋戦争)を終結させました。3月の東京大空襲、4〜6月の沖縄戦、8月6日の広島・8月9日の長崎への原子爆弾投下、8月8日のソ連対日参戦と、戦局は絶望的な状況に追い込まれていました。8月14日に御前会議でポツダム宣言受諾が決定され、翌8月15日に昭和天皇の肉声による「玉音放送」が流れました。9月2日には東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号で降伏文書が調印され、長く続いた戦争が公式に幕を閉じました。日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に入り、戦後改革の時代を迎えます。

この記事のポイント

  • 1945年7月、アメリカ・イギリス・中国がポツダム宣言を発表(無条件降伏の要求)
  • 8月6日広島・8月9日長崎への原子爆弾投下、8月8日ソ連が対日宣戦布告
  • 8月14日、御前会議でポツダム宣言の受諾を決定
  • 8月15日、昭和天皇の玉音放送で国民に終戦が告知された
  • 9月2日、降伏文書に調印。以後GHQの占領下で日本国憲法制定など戦後改革が進む
ここが面白い

「玉音放送」が流れた8月15日は「終戦の日」として知られるが、正式な降伏文書の調印は9月2日だった。

ここに至るまでの流れ
背景

終戦は突然訪れたわけではありません。1941年の太平洋戦争開戦から4年間、戦況は次第に悪化し、1945年には日本本土への攻撃が激しさを増していました。ここに至るまでの流れを見てみましょう。

戦況の悪化と本土への空襲

1943年のガダルカナル島撤退以降、日本軍は各地で敗退を続けました。1944年にはマリアナ諸島が陥落し、日本本土がアメリカ軍爆撃機の航続圏内に入ります。1945年3月9〜10日の東京大空襲では、一夜にして市街地が焼き尽くされ、多くの命が失われました。空襲は東京に限らず、全国の主要都市に及びました。

沖縄戦(1945年4〜6月)

1945年4月、アメリカ軍は沖縄本島に上陸しました。およそ3か月に及ぶ激しい地上戦は、沖縄の一般住民を巻き込み、多大な犠牲をもたらしました。6月に日本軍の組織的抵抗が終わりましたが、この戦いは本土決戦が行われた場合の犠牲の大きさを示すものとなりました。

ポツダム宣言と原子爆弾投下・ソ連参戦

1945年7月26日、アメリカ・イギリス・中国の首脳はポツダム宣言を発表し、日本に無条件降伏を求めました。日本政府が直ちに明確な返答をしないなか、8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾が投下されました。また8月8日にはソ連が日ソ中立条約を無視して対日宣戦布告し、満州・朝鮮・樺太・千島列島へ侵攻しました。これらの出来事が重なり、政府・軍の指導層は受諾の決断を迫られました。

御前会議と「聖断」

8月9〜10日にかけて、最高戦争指導会議と閣議が開かれましたが、「国体護持(天皇制の存続)」の条件をめぐって意見が割れ、決定できませんでした。最終的に8月14日の御前会議で、昭和天皇の「聖断(最終決定)」によりポツダム宣言受諾が決まりました。翌15日に玉音放送が行われ、9月2日に降伏文書が正式調印されました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

ポツダム宣言の受諾

≒ 戦争終結のための外交的降伏

アメリカ・イギリス・中国が発した宣言を受け入れ、日本は連合国に無条件降伏。軍の解体・占領・戦犯裁判などが定められた。

玉音放送(8月15日)

≒ 国民に終戦を告知するラジオ放送

昭和天皇自らの肉声が初めてラジオで流れ、国民は戦争の終わりを知った。この日が「終戦の日」として今も記念される。

降伏文書調印(9月2日)

≒ 国際的に戦争終結を確定した法的文書

東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号で、日本全権・重光葵らが降伏文書に署名。ここで第二次世界大戦が公式に終結した。

前後のできごと
年表
1941
開戦太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)。日本軍は緒戦に成功するが、1942年のミッドウェー海戦以降、戦況は悪化していく。
1944
制空権喪失マリアナ諸島陥落(サイパン島など)。日本本土がアメリカ軍の爆撃機圏内に入る。
1945
東京大空襲3月9〜10日、東京大空襲。その後も全国主要都市への空襲が続く。
1945
沖縄戦4〜6月、沖縄戦。一般住民を含む多大な犠牲のなか、6月に日本軍の組織的抵抗が終わる。
1945
ポツダム宣言7月26日、アメリカ・イギリス・中国がポツダム宣言を発表。日本に無条件降伏を要求。
1945
原爆投下・ソ連参戦8月6日広島・8月9日長崎に原子爆弾投下。8月8日ソ連が対日宣戦布告。
1945
受諾・玉音放送8月14日、御前会議でポツダム宣言受諾決定。8月15日、玉音放送。
1945
降伏文書調印9月2日、東京湾上のミズーリ号で降伏文書に調印。第二次世界大戦が公式に終結。
1946
日本国憲法公布GHQ占領下で新憲法が公布(施行は1947年)。主権在民・戦争放棄・基本的人権の保障を柱とする。
1951
独立回復サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約に調印。1952年に日本は独立を回復。
結果とその後
結果
6年以上にわたった戦争が終結し、占領期の民主化改革(日本国憲法・農地改革・財閥解体など)を経て、日本は戦後復興・高度経済成長へと向かった。
戦争は日本の軍人・民間人合わせて多数の命(諸説あり)を奪い、アジア各地にも多大な被害をもたらした。広島・長崎の被爆体験は、核廃絶を求める運動の原点として今日も重要な意味を持つ。
登場人物
人物

昭和天皇(裕仁)

第124代天皇

御前会議で「聖断」を下してポツダム宣言受諾を決定。玉音放送で国民に終戦を告げた。

鈴木貫太郎

内閣総理大臣(1945年4月〜8月)

終戦を最終的に成し遂げた内閣の首相。海軍大将出身。受諾決定直後に内閣総辞職。

東郷茂徳

外務大臣

ポツダム宣言受諾交渉を担い、「国体護持」条件での受諾を強く主張した。

阿南惟幾

陸軍大臣

徹底抗戦を主張し、ポツダム宣言受諾に反対。玉音放送前夜に自決した。

ダグラス・マッカーサー

GHQ最高司令官(連合国軍最高司令官)

降伏文書調印式を主宰し、以後日本占領の最高責任者として戦後改革を指揮した。

キーワード解説
用語
ポツダム宣言
1945年7月26日、アメリカ・イギリス・中国が発した声明。日本に無条件降伏を求め、軍の解体・占領・民主化などを定めた。当初はソ連が署名していなかったが、後に加わる。
玉音放送
1945年8月15日正午、昭和天皇の肉声をラジオで放送したもの。「耐えがたきを耐え…」の言葉で知られる。国民が直接天皇の声を聞いた初めての機会だった。
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)
General Headquarters の略。敗戦後の日本を占領統治した連合国機構。最高司令官はマッカーサー元帥。1952年の講和条約発効まで日本の政治・経済・文化に大きな影響を与えた。
国体護持
天皇制(天皇が国の象徴・統治者である体制)を守ること。日本政府がポツダム宣言受諾を決断する際の最大の条件だった。
御前会議
天皇臨席のもとで国家の重要事項を決定する会議。1945年8月14日の御前会議で、天皇の「聖断」によりポツダム宣言受諾が決定された。
もっと知りたい
豆知識

1「終戦」という呼称は日本独自のもの

日本では「終戦」と呼ぶが、連合国側は「日本の降伏(Japanese surrender)」と表現する。「終戦の日」は8月15日(玉音放送の日)だが、国際的には9月2日の降伏文書調印が戦争終結の日にあたる。

2玉音放送の録音は2度行われた

昭和天皇の玉音放送は、事前に録音された「玉音盤(レコード)」を放送したもの。実は録音を2度行い、より良い方を採用した。放送前夜、録音盤の奪取を図るクーデター未遂事件(宮城事件)も起きている。

3ミズーリ号の降伏調印式

9月2日の降伏文書調印式は、東京湾に停泊するアメリカ戦艦ミズーリ号の甲板で行われた。マッカーサー、ニミッツら連合国側代表と、重光葵(外務大臣)、梅津美治郎(参謀総長)ら日本側代表が署名した。

4樺太・千島では8月15日後も戦闘が続いた

ソ連軍は8月15日の玉音放送後も軍事行動を続け、樺太・千島列島・北方領土を占領した。現地の日本軍との戦闘は8月下旬まで続いた場所もあり、「8月15日=全戦闘終了」ではない。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
ポツダム宣言受諾が1945年。語呂は「行くよご(1945)終戦へ」。
玉音放送は8月15日(この日を「終戦の日」と呼ぶ)。降伏文書調印は9月2日。
ポツダム宣言を発したのはアメリカ・イギリス・中国(ソ連は後から署名)。
原子爆弾は8月6日に広島、8月9日に長崎に投下された。日付・都市の順序を覚えておく。
終戦後はGHQ占領下で戦後改革が進み、1946年に日本国憲法が公布された(施行は1947年)。
語呂クイズ
「行く世(1945)を継ぐ、終戦へ」= 終戦(ポツダム宣言受諾)は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 「終戦の日」はいつですか?
A. 日本では8月15日(昭和20年)を「終戦の日」と呼んでいます。この日、昭和天皇の玉音放送でポツダム宣言受諾が国民に告げられました。ただし国際的な戦争終結の日は、降伏文書が調印された9月2日とされます。
Q. ポツダム宣言とは何ですか?
A. 1945年7月26日にアメリカ・イギリス・中国が発した声明で、日本に無条件降伏を求めました。軍の解体、戦犯の処罰、民主化、占領などが定められています。日本が受諾したことで太平洋戦争が終結しました。
Q. なぜ原子爆弾が投下されたのですか?
A. アメリカは日本の早期降伏を促し、本土上陸作戦による双方の大きな犠牲を避けることを目的として原子爆弾を使用したとされています。広島(8月6日)・長崎(8月9日)の被爆は数十万人規模の被害をもたらし(諸説あり)、核兵器の惨禍を人類に示しました。
Q. GHQとはどんな組織ですか?
A. 連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters)の略称です。マッカーサー元帥を最高司令官として、1945年から1952年まで日本を占領統治しました。日本国憲法の制定、農地改革、財閥解体など、戦後改革を指導しました。
Q. 「太平洋戦争」と「大東亜戦争」はどう違いますか?
A. 「太平洋戦争」は連合国側・戦後の一般的な呼称で、1941〜45年に太平洋地域で行われた戦争全体を指します。「大東亜戦争」は当時の日本政府が用いた呼称です。現在の教科書では主に「太平洋戦争」が使われています。
まとめ

1945年の終戦は、日本の近現代史における最大の転換点です。太平洋戦争は多くの人命を奪い、アジア各地に深刻な被害をもたらしました。広島・長崎の被爆体験は、核兵器の恐ろしさを世界に示し、今日の平和運動の原点となっています。終戦後、日本はGHQの占領下で民主化改革を進め、日本国憲法の制定・農地改革・財閥解体などを経て戦後復興の道を歩みました。「行くよご(1945)終戦へ」の語呂とともに、この年号と前後の出来事の流れをしっかり押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
戦争による死者数・被爆者数は資料・集計方法によって大きく異なり、一定の数値を断定することは困難なため、本文中では「多大な犠牲」「数十万人規模(諸説あり)」と表現している。
「無条件降伏」については、日本政府が「国体護持」を条件としてポツダム宣言受諾を交渉したことから「条件付き降伏」とする見方もあるが、中学レベルでは「無条件降伏」という表現を一般的に使用する。
ソ連の対日参戦(8月8日)と北方領土問題への言及は、本記事の範囲(終戦の経緯)に絞り、北方領土問題の詳細には踏み込んでいない。
8月15日は日本国内での「終戦の日」。国際的な戦争終結日は降伏文書調印の9月2日であることをtimeline・faqで補足した。
goro_reading の読み方: いく(19)よ(4)ご(5)→「行くよご」=1945。