
ダグラス・マッカーサー
- よみ
- ダグラス・マッカーサー
- 生没年
- 1880–1964
- 出身
- アメリカ合衆国
- おもな地位・役職
- 連合国軍最高司令官(GHQ)、国連軍最高司令官
- 軍歴
- アメリカ陸軍元帥
どんな人?
ダグラス・マッカーサー(1880〜1964)は、第二次世界大戦後の日本占領を指揮したGHQ(連合国軍)最高司令官です。1945年の終戦後、降伏文書調印式を主宰し、日本占領の最高責任者として戦後改革を指揮しました。
1950年に朝鮮戦争が始まると国連軍最高司令官を兼ねて仁川上陸作戦で戦況を逆転させましたが、戦争の拡大をめぐってトルーマン大統領と対立し、1951年4月に解任されました。同年のサンフランシスコ平和条約締結を見ることなく日本を去りました。占領期の民主化政策を主導した人物として知られます。
おもな業績・つくったもの
- GHQ最高司令官として戦後改革を主導連合国軍最高司令官として日本占領を指揮し、農地改革・財閥解体・民主化など一連の戦後改革を進めた。
- 日本国憲法の草案(GHQ案)を作成させるGHQが憲法草案を示し、これをもとに日本国憲法の制定が進んだ。国民主権・平和主義などが柱となった。
- 朝鮮戦争で国連軍最高司令官(1950年)1950年に始まった朝鮮戦争で国連軍最高司令官を兼任。仁川上陸作戦で戦況を転じたが、翌年に解任された。
- 警察予備隊の創設を指示(1950年)在日米軍の朝鮮出撃で生じた国内の防衛空白に対し創設を指示。のちの保安隊・自衛隊へとつながった。
生涯のあゆみ(年表)
- 1945連合国軍最高司令官として来日し降伏文書調印式を主宰する解説を見る →
- 1945GHQ最高司令官として戦後改革・民主化政策を指揮する
- 1946GHQが憲法草案を示し日本国憲法の制定が進む
- 1950朝鮮戦争で国連軍最高司令官を兼任し仁川上陸作戦を指揮する解説を見る →
- 1951戦争拡大をめぐりトルーマン大統領と対立し解任される
- 1964死去する
豆知識
5000分の1の逆転劇
釜山に追い詰められた戦況を、マッカーサーは1950年の仁川上陸作戦で覆した。成功確率5000分の1といわれた奇襲でソウルを奪還した。
解任で数十万人が沿道に
中国への強硬姿勢でトルーマンと対立し1951年に解任。日本では「天皇より人気」とまでいわれ、離日の際は数十万人が沿道を埋めたと伝わる。
厚木飛行場への到着
1945年8月、マッカーサーは厚木飛行場に降り立って占領統治を始めた。以後、日本の戦後改革はGHQの主導で急速に進められた。
人物相関
よくある質問
マッカーサーは何をした人?
第二次世界大戦後の日本占領を指揮したGHQ(連合国軍)最高司令官です。1945年から日本の戦後改革・民主化政策を主導し、朝鮮戦争では国連軍最高司令官も兼ねました。1951年に解任され日本を去りました。
なぜマッカーサーは解任された?
1950年に始まった朝鮮戦争で、中国への強硬策を主張したマッカーサーが、戦争の拡大を避けたいトルーマン大統領と対立したためです。1951年4月に最高司令官を解任され帰国しました。
GHQとは何?
連合国軍最高司令官総司令部の略称で、戦後の日本を占領・統治した機関です。マッカーサーを最高司令官として、農地改革・財閥解体・新憲法の制定など一連の民主化改革を進めました。