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日本国憲法の公布の浮世絵イラスト
昭和の戦争と戦後 ④中学/政治
1946

日本国憲法の公布

マッカーサー(GHQ最高司令官)・幣原喜重郎(内閣総理大臣)・昭和天皇
語呂
覚え方
行くよむ(1946)んなで新憲法
いく(19)よむ(46)

1946年(昭和21年)11月3日、日本国憲法が公布されました。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の草案をもとに、大日本帝国憲法の改正手続きを経て帝国議会で成立した憲法で、翌1947年5月3日に施行されました。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義(戦争の放棄)」の三大原則を掲げ、天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」となりました。1889年の大日本帝国憲法(天皇主権・欽定憲法)から大きく転換し、戦後民主主義の根幹として今日まで続く憲法です。

この記事のポイント

  • 1946年11月3日、日本国憲法を公布。施行は翌1947年5月3日(憲法記念日の由来)
  • GHQのマッカーサー草案をもとに大日本帝国憲法の改正手続きを経て成立
  • 三大原則:国民主権・基本的人権の尊重・平和主義(第9条による戦争放棄)
  • 天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」へ——天皇主権の帝国憲法から大転換
  • 戦後改革の柱として、農地改革・財閥解体と並ぶ占領期の民主化を法的に支えた
ここが面白い

「公布」は1946年11月3日、「施行」は翌1947年5月3日。憲法記念日が5月3日なのはこの「施行日」に由来する。

ここに至るまでの流れ
背景

日本国憲法は、1945年の終戦から約1年という短期間で制定されました。背景にはGHQによる占領統治の方針と、大日本帝国憲法への抜本的な見直し要求があります。どのような経緯で新しい憲法が生まれたのかを追ってみましょう。

大日本帝国憲法の限界と敗戦

1889年に発布された大日本帝国憲法は、天皇が統治権を総攬し(天皇主権)、陸海軍の統帥権が議会・内閣の外に置かれる体制でした。この構造が軍部の独走を許す一因となり、やがて対外侵略・太平洋戦争へとつながったと連合国は評価しました。1945年8月、ポツダム宣言受諾による敗戦を経て、日本はGHQの占領下に入ります。

GHQによる憲法改正の要求

GHQ最高司令官マッカーサーは、日本の民主化・非軍事化を占領政策の核心とし、帝国憲法の改正を強く求めました。日本政府(松本烝治委員会)は1946年初頭に保守的な改正試案を提出しましたが、GHQはこれを不十分と判断。1946年2月、GHQは独自に草案(マッカーサー草案)を作成して日本政府に提示しました。

帝国議会での審議と成立

日本政府はGHQ草案をもとに日本語訳・修文した改正案を作成し、大日本帝国憲法第73条の改正手続き(枢密院の審議→帝国議会の議決)を経て成立させました。帝国議会での審議で「第9条」「生存権(第25条)」など重要な条文が追加・修正されました。1946年11月3日に公布、半年後の1947年5月3日に施行されました。

大日本帝国憲法との決定的な違い

帝国憲法が「天皇主権・欽定憲法」であったのに対し、日本国憲法は「国民主権・民定憲法(国民の意思を反映した憲法)」です。天皇は統治権を持つ君主から「象徴」へと位置づけが変わり、基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」として保障されました。また第9条で「戦争の放棄・戦力の不保持」を定めたことは、当時の世界でも画期的な規定でした。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

三大原則の確立

≒ 現代日本の政治・社会の根幹ルール

①国民主権(政治の最高権力は国民にある)、②基本的人権の尊重(侵すことのできない永久の権利)、③平和主義(第9条:戦争放棄・戦力不保持)の三本柱。

天皇の地位の変化

≒ 元首から「象徴」へ

天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」となり、統治権・統帥権は持たない。国事行為(任命・認証・公布など)は内閣の助言と承認のもとに行う。

国会を「国権の最高機関」に

≒ 議会が政治の中心に

国会が「国権の最高機関・唯一の立法機関」と定められ、帝国議会時代の天皇大権による制約がなくなった。衆議院と参議院の二院制(貴族院→参議院へ改組)。

前後のできごと
年表
1889
帝国憲法発布大日本帝国憲法を発布(天皇主権・欽定憲法)。翌1890年に第一回帝国議会が開かれる。
1941
太平洋戦争開戦真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まる。以後4年間の戦争へ。
1945
終戦・占領開始8月15日、ポツダム宣言受諾を告知(玉音放送)。9月2日、降伏文書調印。GHQによる占領統治が始まる。
1946
GHQ草案の提示2月、GHQが日本政府にマッカーサー草案を提示。日本政府はこれをもとに改正案を作成。
1946
日本国憲法の公布11月3日、日本国憲法が公布される(施行は翌年5月3日)。語呂「いく(19)よむ(46)んなで新憲法」。
1947
憲法の施行5月3日、日本国憲法が施行される(現在の「憲法記念日」)。同日、地方自治法・教育基本法も施行。
1951
サンフランシスコ講和サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約に調印。1952年に主権回復・占領終了。
1956
国連加盟日ソ共同宣言・国際連合加盟。新憲法下の日本が国際社会に本格復帰する。
結果とその後
結果
国民主権・基本的人権・平和主義を三本柱とする民主的な憲法が施行され、戦後日本の政治・社会の礎となった。第9条は日本の防衛政策と外交の基本的な枠組みを今日まで規定している。
憲法制定の経緯(GHQ主導・短期間での審議)や第9条の解釈(自衛隊・集団的自衛権の合憲性など)については、現在も議論が続いている。「押しつけ憲法」論など、制定過程に対する見方も複数存在する。
登場人物
人物

マッカーサー(ダグラス・マッカーサー)

GHQ最高司令官(連合国軍最高司令官)

帝国憲法の抜本改正を指示し、GHQ内で独自草案の作成を主導。平和主義・国民主権・天皇の象徴化を三原則として草案作成チームに指示した。

幣原喜重郎

内閣総理大臣(1945年10月〜1946年5月)

GHQ草案をもとにした改正作業を推進した内閣の首相。第9条(戦争放棄)の発案者の一人とする説もある(諸説あり)。

昭和天皇(裕仁)

第124代天皇

1946年11月3日の公布式典に臨席。日本国憲法のもとで「象徴天皇」となり、以後の国事行為を担った。

松本烝治

国務大臣・憲法問題調査委員会委員長

日本政府側の改正試案を作成したが、GHQに保守的すぎると拒否された。

芦田均

衆議院憲法改正小委員会委員長

帝国議会での審議で修正を主導。第9条の文言(「前項の目的を達するため」)を追加し、のちに「芦田修正」と呼ばれる。

キーワード解説
用語
国民主権
政治の最高権力は国民にあるという原則。大日本帝国憲法の天皇主権から大転換した日本国憲法の三大原則の一つ。
基本的人権
生命・自由・幸福追求の権利など、憲法が保障する人間として当然持つ権利。「侵すことのできない永久の権利」として定められている。
平和主義(第9条)
戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認を定めた条文。「永久にこれを放棄する」という文言で知られる。
象徴天皇
日本国憲法第1条に規定された天皇の地位。「日本国と日本国民統合の象徴」とされ、政治的権能は持たない。
欽定憲法と民定憲法
欽定憲法は君主(天皇)が制定して与える憲法(大日本帝国憲法)。民定憲法は国民の意思をもとに制定される憲法(日本国憲法)。
もっと知りたい
豆知識

1公布日が「文化の日」になった理由

11月3日は明治天皇の誕生日(明治節)にあたる日で、戦前は祝日だった。GHQは特定の軍国主義的祝日を廃止したが、この日に公布された日本国憲法の精神(平和・文化)にちなみ、戦後「文化の日」として国民の祝日に再設定された。

2GHQ草案は約1週間で作成された

マッカーサーは1946年2月3日にGHQ運営委員会に三原則を示し、約1週間後の2月12日には草案が完成した。この急ピッチな作業の背景には、極東委員会が本格稼働する前に日本側に提示し、既成事実を作りたいというGHQの判断があったとされる。

3第9条は世界でも珍しい条文

交戦権の否認・戦力の不保持を憲法に明記した例は、制定当時の世界では極めて稀だった。制定後、第9条の精神に触発されてコスタリカなど他国が軍を持たない選択をした例もある。

4「施行」と「公布」を混同しない

「公布」(1946年11月3日)は憲法の内容を正式に国民に知らせた日。「施行」(1947年5月3日)は実際に効力を持ち始めた日。現在の「憲法記念日」は施行日(5月3日)に由来する。公布日(11月3日)は「文化の日」になった。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
公布は1946年11月3日(文化の日の由来)。施行は1947年5月3日(憲法記念日の由来)。語呂は「いく(19)よむ(46)んなで新憲法」。
三大原則:国民主権・基本的人権の尊重・平和主義(第9条の戦争放棄)の三本柱を確実に覚える。
天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」へ——大日本帝国憲法(天皇主権)との対比を押さえること。
GHQのマッカーサー草案をもとに、大日本帝国憲法の改正手続きを経て帝国議会で成立した。
前身の大日本帝国憲法(1889年発布)との違い:①天皇主権→国民主権、②欽定憲法→(実質的に)民定憲法、③統帥権→第9条の戦争放棄。
語呂クイズ
「行くよむ(1946)んなで新憲法」= 日本国憲法の公布は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 日本国憲法はいつ公布されましたか?
A. 1946年(昭和21年)11月3日に公布されました。施行は翌1947年5月3日です。現在の「憲法記念日」は施行日(5月3日)に由来します。
Q. 日本国憲法の三大原則とは何ですか?
A. ①国民主権(政治の最高権力は国民にある)、②基本的人権の尊重(侵すことのできない永久の権利として保障)、③平和主義(第9条:戦争の放棄・戦力の不保持)の三つです。
Q. 日本国憲法はどのように作られましたか?
A. GHQのマッカーサー最高司令官の指示のもとでGHQが草案を作成し、日本政府はその草案をもとに改正案を作りました。大日本帝国憲法の改正手続きを経て帝国議会で議決・成立しました。
Q. 大日本帝国憲法と日本国憲法の違いは何ですか?
A. 最大の違いは主権と天皇の地位です。帝国憲法では天皇が統治権を総攬する「天皇主権」でしたが、日本国憲法では「国民主権」となり、天皇は「日本国と日本国民統合の象徴」と位置づけられました。また第9条で戦争の放棄を定め、帝国憲法にはなかった基本的人権の包括的な保障が加わりました。
Q. 憲法記念日はなぜ5月3日なのですか?
A. 日本国憲法が施行された日(1947年5月3日)に由来します。憲法が「公布」された11月3日は「文化の日」として別に祝日になっています。
まとめ

日本国憲法の公布は、57年続いた大日本帝国憲法(天皇主権)から国民主権へ、軍国主義から平和主義へという、戦後日本の最大の転換を法的に定めた出来事です。「いく(19)よむ(46)んなで新憲法」の語呂で1946年(公布)を覚えるとともに、施行が翌1947年5月3日(憲法記念日)であることも必ずセットで押さえましょう。三大原則(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)と、前身の大日本帝国憲法(1889年)との対比が入試頻出のポイントです。

編集メモ(ファクト)
公布(1946年11月3日)と施行(1947年5月3日)は必ず区別すること。events.json の note 通り。
第9条の発案者については幣原喜重郎説・マッカーサー説など諸説あり、断定は避けた。
「民定憲法」という表現については、制定手続き上は帝国憲法改正の形式をとっているため「実質的に民定憲法」と留保した。
「芦田修正」(第9条の文言修正)は高校レベルの内容のため、中学向け記事では people 欄への記載にとどめた。
goro_reading の読み方: いく(19)よむ(46)→「行くよむ」=1946。