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国際連盟の発足(日本は常任理事国)の浮世絵イラスト
大正の国際秩序 ①中学/外交
1920

国際連盟の発足(日本は常任理事国)

ウッドロウ・ウィルソン(アメリカ大統領)・新渡戸稲造(事務次長)
語呂
覚え方
行く庭に平和、国際連盟
い(1)く(9)に(2)わ(0)

1920年(大正9年)、第一次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないために、史上初の国際平和機構・国際連盟が発足しました。アメリカ大統領ウィルソンが唱えた「十四か条の平和原則」を基礎とし、ヴェルサイユ条約(1919年)とセットで誕生した組織です。本部はスイスのジュネーヴに置かれ、日本はイギリス・フランス・イタリアとともに常任理事国の座を得ました。日本人として初めて国際機関の要職に就いた新渡戸稲造が事務次長を務めたことでも知られています。しかし、提唱国のアメリカが上院の反対で加盟できず、全会一致制や軍事的制裁力の欠如という構造的な弱点を抱えたまま出発。1933年に日本が脱退し、のちにドイツ・イタリアも脱退して形骸化。第二次世界大戦を防げないまま解体されました。

この記事のポイント

  • 1920年、第一次世界大戦の反省から史上初の国際平和機構・国際連盟が発足
  • ウィルソンの十四か条が基礎。本部はジュネーヴ(スイス)
  • 日本はイギリス・仏・伊とともに常任理事国。新渡戸稲造が事務次長
  • 提唱国アメリカは上院の反対で不参加。全会一致制と軍事的制裁力の欠如が弱点
  • 1933年に日本が脱退(満州事変のリットン報告を不服)、ドイツ・イタリアも相次いで脱退し形骸化
ここが面白い

国際連盟を提唱したアメリカ自身が、上院の反対で加盟できなかった。史上初の国際平和機構は、生まれながらに「歯の抜けた」機関だった。

ここに至るまでの流れ
背景

国際連盟は突然生まれたわけではありません。第一次世界大戦という未曾有の惨禍、そしてアメリカ大統領ウィルソンの外交理念が合わさって誕生しました。その背景をたどってみましょう。

第一次世界大戦の衝撃

1914年に始まった第一次世界大戦は、機関銃・毒ガス・戦車・飛行機など新兵器が投入された総力戦となり、ヨーロッパを中心に1000万人以上の兵士が命を落としました。民間人を含む死者数は2000万人以上とも言われます。戦後、二度とこのような悲劇を繰り返してはならないという強い反省が、国際社会を覆いました。

ウィルソンの十四か条

1918年1月、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンは「十四か条の平和原則」を議会で発表しました。秘密外交の廃止・海洋の自由・軍縮・民族自決・そして「国際連盟の創設」が柱でした。この理想主義的な外交路線はヨーロッパ各国から支持を集め、1919年のパリ講和会議(ヴェルサイユ条約)の場で国際連盟規約として結実しました。

ヴェルサイユ条約との一体化

1919年に結ばれたヴェルサイユ条約は、ドイツへの厳しい賠償・領土割譲を定める一方、その第1〜26条に国際連盟規約が組み込まれました。つまり国際連盟は「戦後処理の骨格」として誕生した機関であり、ヴェルサイユ体制と一体で理解することが重要です。

提唱国アメリカの不参加

皮肉なことに、連盟を提唱したウィルソン自身が加盟を実現できませんでした。モンロー主義(孤立主義)を重視するアメリカ上院が批准を拒否。共和党が多数を占める上院は「国際連盟への参加は主権を制限する」と反対し、1920年に批准が否決されました。アメリカの不参加は連盟の権威を最初から弱体化させる致命的な欠陥となりました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

常任理事国4か国体制のスタート

≒ 安保理常任理事国と似た「主要国の拒否権つき合議体」

イギリス・フランス・イタリア・日本の4か国が常任理事国として発足。日本にとって欧米列強と対等の地位を得た初の国際機関だった。

全会一致制の採用

≒ 全員賛成がなければ動けない多国間組織の限界

理事会・総会とも全会一致が原則で、一国でも反対すると決議できない仕組み。紛争当事国も議決に参加できたため、制裁が機能しにくかった。

軍事的制裁力の欠如

≒ 警察なき法律と同じ状態

連盟独自の軍隊(国際軍)は設けられず、制裁は経済制裁が主体。軍事侵攻を止める実力を持たなかった。

前後のできごと
年表
1914
大戦勃発第一次世界大戦が始まる(〜1918年)。総力戦で1000万人超が戦死。
1918
十四か条ウィルソン大統領が十四か条の平和原則を発表。国際連盟の創設を提唱。
1919
ヴェルサイユ条約パリ講和会議でヴェルサイユ条約調印。国際連盟規約が条約に組み込まれる。
1920
国際連盟発足国際連盟が正式に発足。本部をジュネーヴに置く。日本は常任理事国に。新渡戸稲造が事務次長に就任。アメリカは上院の反対で不参加。
1931
満州事変日本軍が満州を占領(満州事変)。連盟はリットン調査団を派遣。
1933
日本脱退リットン報告書を不服とした日本が国際連盟を脱退。ドイツも同年脱退。
1937
日中戦争日中戦争勃発。連盟は有効な対応が取れず。
1946
解散国際連盟解散。後継機関として国際連合(UN)が1945年に設立されていた。
結果とその後
結果
史上初の普遍的国際平和機構として設立。日本が欧米列強と対等な常任理事国の地位を得た。新渡戸稲造ら日本人が国際舞台で活躍する機会となった。
アメリカの不参加・全会一致制・軍事的制裁力の欠如という三重の弱点を抱え、1930年代の侵略を抑止できなかった。1933年に日本・ドイツ、1937年にイタリアが脱退し形骸化。第二次世界大戦を防ぐことなく解散に至った。
登場人物
人物

ウッドロウ・ウィルソン

アメリカ大統領(第28代)

十四か条を提唱し国際連盟の父とされるが、上院の反対で自国を加盟させられなかった。ノーベル平和賞を受賞(1919年)。

新渡戸稲造

国際連盟事務次長

日本人として初の国際機関要職。英文著作『武士道』で知られる教育者・思想家。旧5000円紙幣の肖像。

原敬

当時の内閣総理大臣

1918年から1921年まで首相を務め、国際連盟発足時の日本の対応を主導した「平民宰相」。

デヴィッド・ロイド・ジョージ

イギリス首相

パリ講和会議の主要交渉者の一人。連盟設立に積極的に関与。

キーワード解説
用語
十四か条の平和原則
ウィルソンが1918年に発表した戦後構想。秘密外交の廃止・民族自決・国際連盟の設立などを掲げた。
全会一致制
すべての加盟国が賛成しなければ決議できない議決方式。一国の反対で機能不全になりやすかった。
常任理事国
国際連盟理事会の中核メンバー。当初はイギリス・フランス・イタリア・日本の4か国。現在の国連安保理常任理事国の前身にあたる。
リットン調査団
満州事変を調査するため国際連盟が派遣した委員会(団長はイギリスのリットン卿)。1932年に報告書を提出し、日本の侵略を認定した。これを不服とした日本は1933年に脱退。
ヴェルサイユ体制
1919年のヴェルサイユ条約を中心とする第一次大戦後の国際秩序。国際連盟はこの体制の柱の一つだった。
もっと知りたい
豆知識

1連盟を提唱したウィルソンは自国を加盟させられなかった

連盟の「父」と呼ばれるウィルソンだが、アメリカ上院(共和党多数)が国際連盟規約を含むヴェルサイユ条約の批准を1920年に否決。ウィルソンは脳卒中を患いながら全米を回って加盟の説得を試みたが、志半ばで倒れた。国際連盟はアメリカなしでスタートを切るという致命的なハンディを背負うことになった。

2新渡戸稲造の5000円紙幣

国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造は1984年から2004年まで発行された旧5000円紙幣の肖像として知られる。英文著作『武士道』(1900年)は武士の倫理観を世界に紹介し、ルーズベルト大統領らに影響を与えたとされる。

3本部がジュネーヴに置かれた理由

スイスは長年の中立国として知られ、複数の国際機関が置かれていた。永世中立の立場から、どの国にも偏らない会議の場として最適と判断された。国際連盟の事務局がジュネーヴに設けられたことで、同市は「国際都市」としての地位を確立。現在も国連欧州本部など多くの国際機関が集まる。

4国際連盟の失敗が国連誕生を促した

連盟の反省を踏まえ、1945年に国際連合(UN)が設立された。国連では拒否権を持つ「5大国(米・英・仏・ソ・中)」が安保理に入り、アメリカも最初から参加。ただし拒否権の乱用という別の問題を生むことになった。

5日本脱退の直接的きっかけ

1931年の満州事変後、国際連盟はリットン調査団を派遣。1932年の報告書は「満州国は日本の傀儡国家」と認定した。1933年2月の連盟総会でこの報告書が42対1(棄権1)で採択されると、日本全権の松岡洋右(まつおかようすけ)は議場を退場。日本は同年3月に脱退を通告した。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
発足は1920年。語呂は「行く庭に(1920)平和、国際連盟」。い(1)く(9)に(2)わ(0)。
提唱者はアメリカ大統領ウィルソン(十四か条)。しかしアメリカ自身は上院の反対で不参加。
本部はジュネーヴ(スイス)。日本は常任理事国、新渡戸稲造が事務次長。
全会一致制・軍事的制裁力の欠如が弱点。1933年に日本(満州事変のリットン報告を不服)・ドイツが脱退。
国際連盟(1920年〜)と国際連合(1945年〜)を混同しないこと。前者は失敗し、後者に引き継がれた。
語呂クイズ
「行く庭に平和、国際連盟」= 国際連盟の発足(日本は常任理事国)は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 国際連盟はいつ発足しましたか?
A. 1920年(大正9年)に発足しました。本部はスイスのジュネーヴです。
Q. なぜアメリカは国際連盟に加盟しなかったのですか?
A. 国際連盟を提唱したウィルソン大統領の国内説得が失敗し、アメリカ上院が批准を拒否したためです。孤立主義(モンロー主義)を重視する共和党議員が反対しました。
Q. 日本はなぜ国際連盟を脱退したのですか?
A. 1931年の満州事変に対し、国際連盟のリットン調査団が「満州国は日本の傀儡国家」と認定しました。1933年の総会でこの報告が採択されたことを不服とし、日本は連盟を脱退しました。
Q. 国際連盟と国際連合の違いは何ですか?
A. 国際連盟(1920〜1946年)は第一次大戦後に設立され、全会一致制・軍事力なし・アメリカ不参加という弱点がありました。国際連合(1945年〜)は第二次大戦後に設立され、アメリカも参加し、安全保障理事会に拒否権と軍事措置の権限を持つ5大国を置くなど改善されています。
Q. 新渡戸稲造はどんな人物ですか?
A. 日本の教育者・思想家で、英文著作『武士道』で知られます。国際連盟の事務次長を務め、日本人として初めて国際機関の要職に就きました。旧5000円紙幣の肖像でもあります。
まとめ

国際連盟は「戦争のない世界をつくろう」という人類初の本格的な試みでした。しかし提唱国アメリカの不参加・全会一致制・軍事力の欠如という三つの弱点が積み重なり、1930年代の侵略を止める力を持てませんでした。「行く庭に(1920)平和、国際連盟」の語呂とともに、この「崇高な理念と構造的限界の共存」を覚えておきましょう。国際連盟の失敗が国際連合の誕生につながる点も、現代史との橋渡しとして押さえておきたいポイントです。

編集メモ(ファクト)
常任理事国は発足時4か国(英・仏・伊・日)。ソ連は1934年に加盟し常任理事国入り。
ウィルソンのノーベル平和賞は1919年授与(受賞年は1920年)。
松岡洋右の議場退場は1933年2月24日の総会での出来事。