
原敬
はら・たかし 1856–1921 / 大正・政治家
初の本格的政党内閣・平民宰相基本データ
- よみ
- はら・たかし
- 生没年
- 1856–1921
- 別名・号
- 「平民宰相」と呼ばれた
- 出身(藩)
- 陸奥盛岡藩(現在の岩手県)
- おもな地位・役職
- 内務大臣、立憲政友会総裁、内閣総理大臣
- 所属(藩閥・政党)
- 立憲政友会(総裁)
- 内閣の位置づけ
- 本格的な政党内閣を率いた
どんな人?
原敬(はら・たかし)は、岩手県出身で初の本格的な政党内閣を組織した政治家です。立憲政友会総裁として、1918年の米騒動後に第19代内閣総理大臣に就任しました。
爵位を持たず衆議院に議席を持つ初の首相であったことから「平民宰相」と呼ばれました。1920年の国際連盟発足時には日本の対応を主導しましたが、1921年に東京駅で暗殺され、その生涯を閉じました。
おもな業績・つくったもの
- 初の本格的な政党内閣を組織(1918年)米騒動で寺内内閣が倒れた後の1918年に組閣し、閣僚の多くを政党員で固めた日本初の本格的な政党内閣を組織した。
- 立憲政友会総裁として首相に就任衆議院に基盤を持つ立憲政友会の総裁として首相に就任し、政党を土台とする内閣を率いた。
- 「平民宰相」と呼ばれる爵位を持たず衆議院議員のまま首相となったことから、庶民出身の宰相として「平民宰相」と呼ばれ親しまれた。
生涯のあゆみ(年表)
- 1856陸奥盛岡藩士の家に生まれる。
- 1900立憲政友会の結成に加わり、党の有力者となる。
- 1918米騒動の後、内閣総理大臣となり本格的な政党内閣を組織する。解説を見る →
- 1920総理大臣として国際連盟の発足に臨む。解説を見る →
- 1921東京駅で刺殺される。
- 1925死後、普通選挙法が成立する。解説を見る →
ゆかりの地
東京駅東京都原敬が1921年に刺殺された現場。
豆知識
平民宰相の本当の意味
原は爵位を持たない「平民」として衆議院議員のまま首相になり平民宰相と呼ばれた。ただし出身は岩手の士族で、庶民出という意味ではない。
東京駅で刺された首相
本格的な政党内閣を率いた原は、1921年に東京駅で一青年に刺殺された。現役の首相が暗殺された衝撃的な事件として記憶されている。
「平民」は爵位を持たない意味
原敬の「平民宰相」という呼び名は、爵位を持たずに首相となったことに由来する。庶民の家の出という意味ではなく、本人は盛岡藩の武士の家柄であった。
人物相関
原敬
よくある質問
原敬は何をした人?
陸奥盛岡藩出身の政治家で、立憲政友会の総裁として1918年に内閣総理大臣となった人物です。爵位を持たない衆議院議員として本格的な政党内閣を率い、「平民宰相」と呼ばれましたが、1921年に東京駅で刺殺されました。
原敬が「平民宰相」と呼ばれたのはなぜ?
原敬は爵位を持たず、衆議院に議席を持つ立場のまま内閣総理大臣となりました。華族や藩閥の出身者が首相を占めがちだった当時、その経歴から「平民宰相」と呼ばれました。
原敬内閣はどんな内閣ですか?
1918年に成立した、立憲政友会を基盤とする本格的な政党内閣とされます。政党の党首が衆議院に議席を持ったまま組織した内閣として、政党政治の一つの画期に位置づけられます。