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第一次世界大戦(〜1918)の浮世絵イラスト
大正時代の外交と経済 ①中学/戦乱
1914

第一次世界大戦(〜1918)

加藤高明(外務大臣)・大隈重信(首相)
語呂
覚え方
行く意思表明、第一次大戦
い(1)く(9)い(1)し(4)

1914年(大正3年)6月、オーストリアの皇太子がサラエボで暗殺されたことを引き金に、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発しました。連合国(英・仏・露など)と同盟国(独・墺など)が激突するこの大戦に、日本は日英同盟を根拠として連合国側で参戦。ドイツが租借していた中国の青島(山東半島)や南洋諸島のドイツ領を占領し、1915年には中国政府に二十一か条の要求を突きつけて権益を拡大しました。戦場はるか遠いヨーロッパの大戦は、日本に空前の好景気「大戦景気」をもたらし、輸出が急増して成金が続出しました。しかし物価高騰は庶民の生活を直撃し、1918年には米騒動が全国に広がります。1919年のパリ講和会議・ヴェルサイユ条約、そして1920年の国際連盟発足(日本は常任理事国)へとつながり、日本は国際的な地位を大きく高めました。

この記事のポイント

  • 1914年、サラエボ事件を機に第一次世界大戦が勃発。日本は日英同盟を根拠に連合国側で参戦
  • ドイツの租借地・青島(山東半島)と南洋諸島のドイツ領を占領し権益を拡大
  • 1915年、中国に二十一か条の要求を突きつけ、山東省権益などを認めさせた
  • 「大戦景気」で輸出急増・重化学工業が発展、一方で物価高騰が庶民を苦しめ1918年に米騒動
  • 1919年ヴェルサイユ条約、1920年国際連盟発足。日本は常任理事国となり国際的地位が向上
ここが面白い

日本はヨーロッパの戦争に「日英同盟」を理由に参戦し、わずか数ヶ月でドイツ領を占領。戦場から遠い日本は空前の「大戦景気」で成金が続出した。

ここに至るまでの流れ
背景

第一次世界大戦は「突然起きた」戦争ではありません。19世紀末からヨーロッパでは列強が二つの陣営に分かれて対立し、バルカン半島をめぐる緊張が高まっていました。日本もまた日英同盟で国際秩序に深く組み込まれており、参戦は必然に近い流れでした。

ヨーロッパの二大陣営

20世紀初頭、ヨーロッパの列強はイギリス・フランス・ロシアを中心とする「三国協商(連合国側)」と、ドイツ・オーストリア・イタリアを中心とする「三国同盟(同盟国側)」に大きく分かれていました。各国が軍拡を競い、火薬庫状態となったバルカン半島では民族主義運動が激化していました。

サラエボ事件の衝撃

1914年6月28日、ボスニアのサラエボでオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公がセルビア人の民族主義者に暗殺されました。この「サラエボ事件」をきっかけに、複雑な同盟関係が連鎖し、わずか数週間で主要列強が次々と宣戦布告。ヨーロッパ全土を巻き込む大戦へと発展しました。

日英同盟と日本の立場

日本は1902年に日英同盟を締結していました。同盟はイギリスと同じ側で戦う義務を定めており、大隈重信首相・加藤高明外相はこれを根拠にドイツへ宣戦布告(1914年8月)。ヨーロッパに軍を送るのではなく、アジアにあるドイツの権益地・青島(山東半島)と南洋諸島を攻略する方針を選びました。

日本にとっての好機

列強がヨーロッパで消耗する中、日本はアジアでほぼ単独行動できる状況になりました。欧米製品の輸入が途絶えてアジア向けの輸出が急増し、造船・鉄鋼・化学などの重化学工業が飛躍的に発展。この好景気を「大戦景気」と呼び、財を成した「成金」が社会現象になりました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

ドイツへの宣戦布告と青島占領

≒ 同盟国の義務を果たしながら権益を拡大

1914年8月に対ドイツ宣戦布告。陸海軍が共同作戦でドイツ租借地の青島(山東半島)を包囲・攻略し、11月に占領。南洋諸島のドイツ領(マリアナ・カロリン・マーシャル諸島)も海軍が占領した。

二十一か条の要求(1915年)

≒ 弱体化した中国に一方的な権益を要求

1915年1月、加藤高明外相が中国の袁世凱政府に山東省権益の継承・関東州租借期限の延長・南満州での権益拡大など21項目を要求。中国は大部分を受諾せざるを得なかったが、内容は国際的に強い非難を受けた。

大戦景気と経済発展

≒ 戦時需要による空前の好況と産業の近代化

欧米が戦争に集中するなかで日本の輸出が急増。船舶・生糸・綿製品の輸出が伸び、化学・電機・造船などの重化学工業が急成長。債務国から債権国へ転換した。しかし物価が急騰し、庶民の生活は苦しくなった。

前後のできごと
年表
1902
日英同盟日本とイギリスが日英同盟を締結。対ロシア政策を念頭に置いた軍事同盟。
1914
大戦勃発・参戦6月サラエボ事件。7月オーストリアがセルビアに宣戦布告し大戦が始まる。8月、日本がドイツに宣戦布告。11月、青島を占領。
1915
二十一か条の要求1月に中国(袁世凱政府)に二十一か条の要求を提示。5月、中国が大部分を受諾。
1918
米騒動・大戦終結物価高騰を背景に富山の米騒動が全国へ拡大。11月、ドイツが休戦を申請し第一次世界大戦が終結。
1919
パリ講和会議・ヴェルサイユ条約日本は五大国の一員として会議に参加。山東省の旧ドイツ権益などの継承が認められた。
1920
国際連盟発足ヴェルサイユ条約に基づき国際連盟が発足。日本は英・仏・伊とともに常任理事国となった。
結果とその後
結果
日本は戦勝国の一員として青島・南洋諸島のドイツ権益を獲得。国際連盟の常任理事国となり、国際的な地位が大きく向上した。大戦景気で重化学工業が発展し、債務国から債権国へ転換した。
二十一か条の要求は中国・アメリカから激しい反発を招き、日本の対外イメージを悪化させた。1919年の五・四運動(中国の反日民族運動)の遠因になった。物価高騰による米騒動(1918年)は内政上の大きな危機をもたらした。
登場人物
人物

大隈重信

第17代内閣総理大臣

第二次大隈内閣のもとで対ドイツ宣戦布告を決定。70代半ばの「老宰相」として再登板した。

加藤高明

外務大臣(後の首相)

二十一か条の要求を主導した。のちに護憲三派内閣の首相として普通選挙法を成立させる。

フランツ・フェルディナント大公

オーストリア皇太子

サラエボで暗殺された。この事件が大戦の直接的な引き金となった。

袁世凱

中華民国大総統

二十一か条の要求を突きつけられた側。外圧に屈する形で大部分を受諾した。

神尾光臣

陸軍大将(第18師団長)

1914年、日本軍を率いてドイツの租借地・青島(山東半島)を攻略した。

キーワード解説
用語
サラエボ事件
1914年6月28日、ボスニアのサラエボでオーストリア皇太子夫妻がセルビア人民族主義者に暗殺された事件。第一次世界大戦の直接の引き金となった。
日英同盟
1902年に日本とイギリスが締結した軍事同盟。「一方が戦争状態に入ったとき、他方は中立を保ち、第三国が参加した場合は援助する」という内容。日本の参戦の法的根拠になった。
二十一か条の要求
1915年に日本が中国(袁世凱政府)に突きつけた21項目の要求。山東省権益の継承や関東州租借期限の延長などが含まれ、中国の主権を大きく侵害する内容だった。
大戦景気
第一次世界大戦中(1915〜18年ごろ)に日本が経験した空前の好景気。欧米が戦争に集中するなかで輸出が急増し、造船・鉄鋼・化学工業が急成長した。
成金
大戦景気で急に財を成した新興の富裕層。将棋の「歩」が敵陣に入ると「金」になることから。派手な消費行動が社会的話題となった。
国際連盟
1920年に発足した世界初の国際平和機構。日本・英・仏・伊が常任理事国となった。アメリカは上院の反対で不参加に終わった。
もっと知りたい
豆知識

1「炭火で紙幣を燃やして足元を照らした」成金の逸話

大戦景気で急に富を得た「成金」の派手ぶりは庶民の語り草になった。「裸の成金が紙幣で燭台代わりに照らす」という風刺画が広まり、成金=下品な成り上がり者というイメージが定着した。ただしこれは風刺的な誇張で、実際に紙幣を燃やした記録があるわけではない。

2日本の参戦期間はわずか約3ヶ月間の実戦

1914年8月に宣戦布告し、11月には青島を占領。以後ヨーロッパへの地上軍派遣はなく、日本の実質的な戦闘はごく短期間だった。その割に戦後講和での発言権を求めたことが欧米からの反発を招いた。

3南洋諸島は現在のミクロネシア周辺

日本が占領したマリアナ・カロリン・マーシャル諸島は、ヴェルサイユ条約後に国際連盟から日本の委任統治領とされた。のちの太平洋戦争で激戦地となる地域(サイパン・テニアンなど)はここに含まれる。

4国際連盟でのアメリカ不参加と日本

ウッドロウ・ウィルソン大統領が提唱して設立された国際連盟だが、アメリカはモンロー主義を重んじる上院の反対で加盟できなかった。日本は常任理事国として発言権を得る一方、アメリカとの関係悪化が続いた。

5米騒動は富山から全国へ

1918年夏、富山県の主婦たちが米の安売りを求めて立ち上がり、騒動は瞬く間に全国に拡大。軍が出動するほどの大規模な民衆運動となった。大戦景気の恩恵が庶民に届かなかったことへの怒りが爆発した形で、原敬内閣の成立(政党内閣の端緒)につながった。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
参戦の根拠は「日英同盟」(1902年締結)。これを必ず結びつけて覚える。
日本が占領したのは青島(山東半島)と南洋諸島のドイツ領。「占領したのはヨーロッパではない」点に注意。
二十一か条の要求(1915年)は年号・内容・対象国(中国)をセットで押さえる。高校入試では頻出。
大戦景気→成金の出現→物価高→米騒動(1918年)という因果の流れを一つのストーリーとして理解する。
1919年ヴェルサイユ条約・1920年国際連盟発足(日本は常任理事国)はセットで覚える。
語呂クイズ
「行く意思表明、第一次大戦」= 第一次世界大戦(〜1918)は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 日本はなぜ第一次世界大戦に参戦したのですか?
A. 1902年に締結していた日英同盟を根拠に、同盟国であるイギリス側(連合国)で参戦しました。ヨーロッパに陸軍を送るのではなく、アジアにあるドイツの植民地(青島・南洋諸島)を占領する形で戦争に加わりました。
Q. 第一次世界大戦のきっかけは何ですか?
A. 1914年6月、ボスニアのサラエボでオーストリア皇太子夫妻がセルビア人民族主義者に暗殺された「サラエボ事件」がきっかけです。複雑な同盟関係が連鎖して主要列強が次々と宣戦布告し、大戦に発展しました。
Q. 二十一か条の要求とは何ですか?
A. 1915年に日本が中国(袁世凱政府)に突きつけた21項目の要求です。山東省のドイツ権益の継承、関東州(旅順・大連)の租借期限の延長、南満州・東内モンゴルでの権益拡大などが含まれ、中国に大きな屈辱を与えました。
Q. 大戦景気とはどのような状況でしたか?
A. ヨーロッパ列強が戦争に集中するなかで日本の輸出が急増し、造船・鉄鋼・化学工業が飛躍的に発展した好景気です。一方で物価が急騰して庶民の生活は苦しくなり、1918年の米騒動へとつながりました。
Q. 第一次世界大戦は日本にとってどんな結果をもたらしましたか?
A. 戦勝国の一員として青島と南洋諸島のドイツ権益を獲得し、国際連盟では常任理事国となって国際的な地位が向上しました。一方で二十一か条の要求が国際社会の反感を招き、米騒動などの内政問題も生じました。
まとめ

第一次世界大戦への参戦は、日本にとって「棚からぼたもち」とも言える好機でした。ヨーロッパで列強が消耗するなか、日本はアジアでドイツの権益を占領し、二十一か条の要求で中国への影響力を拡大。大戦景気で経済力も高まり、国際連盟の常任理事国として国際的な地位を大きく伸ばしました。語呂「い(1)く(9)い(1)し(4)→行く意思(1914)表明、第一次大戦」で1914年を確実に押さえましょう。ただし日本の膨張政策は中国・アメリカの反発を招き、やがて昭和の日中戦争・太平洋戦争への伏線となりました。この時代の「拡大」が後世に何をもたらしたか、大きな視野で考えてみてください。

編集メモ(ファクト)
「連合国」は英・仏・露・日など、「同盟国」は独・墺・オスマン帝国など。混同しやすいので試験前に確認。
サラエボ事件(6月28日)→オーストリアの対セルビア宣戦布告(7月28日)→日本の対独宣戦布告(8月23日)の順。
二十一か条の要求の第5号は日本国内の反対意見もあり最終的に撤回された。