
加藤高明
かとう・たかあき 1860–1926 / 大正・政治家
普通選挙法を成立させた首相基本データ
- よみ
- かとう・たかあき
- 生没年
- 1860–1926
- 出身
- 尾張国(現在の愛知県)
- 所属政党
- 憲政会(総裁)
- おもな地位・役職
- 内閣総理大臣、外務大臣、駐英大使
- 内閣
- 護憲三派内閣
どんな人?
加藤高明(かとう・たかあき)は、1925年に普通選挙法を成立させた大正期の政治家です。憲政会総裁として護憲三派内閣を率い、満25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法と、同じ年に治安維持法を成立させました。
首相となる以前は、第2次大隈重信内閣の外務大臣として、1915年の二十一か条の要求を主導しました。1926年、首相在任中に死去しました。
おもな業績・つくったもの
- 二十一か条の要求を主導(外相・1915年)第2次大隈内閣の外相として、山東省権益の継承などを中国に要求。大部分を認めさせたが、国際的な非難を招いた。
- 普通選挙法を成立(首相・1925年)護憲三派内閣の首相として納税要件を撤廃し、満25歳以上の男子に選挙権を拡大。有権者は約4倍に増えた。
- 治安維持法を成立(1925年)普通選挙法と同年に成立させた法律。国体変革や私有財産否認をめざす結社を取り締まり、社会運動の抑圧に使われた。
生涯のあゆみ(年表)
- 1915外務大臣として二十一か条の要求を中国に突きつける解説を見る →
- 1924護憲三派内閣を組織し内閣総理大臣に就任する
- 1925普通選挙法と治安維持法を成立させる解説を見る →
- 1926首相在任のまま病により死去する
豆知識
秘密のはずが即日漏洩
加藤高明は二十一か条の要求を極秘にせよと命じたが、中国側が内容を欧米に流し、英米の反発が第5号の撤回・保留につながった。
有権者を4倍にした宰相
加藤内閣が成立させた普通選挙法で、有権者は約307万人から約1240万人へ一気に約4倍に増えた。ただし対象は満25歳以上の男性のみだった。
治安維持法とセットの改革
加藤内閣は普通選挙法と同じ1925年に治安維持法も成立させた。選挙権拡大で高まる社会運動を取り締まる狙いがあったとされる。
人物相関
加藤高明
よくある質問
加藤高明は何をした人?
大正期の政治家で、憲政会総裁として護憲三派内閣を率いた首相です。1925年に満25歳以上の男子に選挙権を認める普通選挙法を成立させる一方、同年に治安維持法も成立させました。
普通選挙法で有権者はどれくらい増えた?
1925年の普通選挙法で納税額による制限が撤廃され、有権者は約4倍に増えました。ただし対象は満25歳以上の男性に限られ、女性には選挙権が与えられませんでした。
二十一か条の要求とは?
第2次大隈内閣の外相だった加藤高明が主導し、1915年に中国へ突きつけた要求です。山東省のドイツ権益の継承などを求めるもので、中国の強い反発と欧米の警戒を招きました。