語呂で覚える日本史年号語呂合わせ・日本史暗記
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満州事変の浮世絵イラスト
十五年戦争の始まり ①中学/戦乱
1931

満州事変

関東軍(石原莞爾・板垣征四郎ら)
語呂
覚え方
戦の引き金、満州事変
い(1)く(9)さ(3)ひ(1)

1931年(昭和6年)9月18日夜、満州(現在の中国東北部)奉天郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路が爆破されました。関東軍はこれを中国側の仕業だと発表して軍事行動を開始し、満州全域を占領しました。これが満州事変です。実際には関東軍自身が爆破した自作自演(柳条湖事件)でした。翌1932年には清朝最後の皇帝・溥儀を元首にすえた傀儡国家「満州国」を建国。国際連盟がリットン調査団の報告にもとづき満州国を認めない決議を採択すると、1933年に日本は国際連盟を脱退しました。ここから日本は国際的孤立の道を歩み始め、太平洋戦争へとつながる十五年戦争の起点となりました。

この記事のポイント

  • 1931年9月18日、関東軍が柳条湖で南満州鉄道の線路を自ら爆破(柳条湖事件)し、中国側の仕業と偽って軍事行動を開始
  • 関東軍は政府・軍中央の制止を無視して独走し、満州全域を占領(統帥権の逸脱)
  • 1932年、清朝最後の皇帝・溥儀を執政(のち皇帝)とする傀儡国家・満州国を建国
  • 国際連盟はリットン調査団を派遣し、満州国不承認の報告書を採択
  • 1933年、日本は国際連盟を脱退。国際的孤立と軍部独走の深刻化が加速
ここが面白い

「中国が線路を爆破した」は嘘だった。関東軍が自ら仕掛けた謀略から、十五年戦争の幕が切って落とされた。

ここに至るまでの流れ
背景

満州事変は突然起きたわけではありません。日露戦争後から続く満州をめぐる権益争い、世界恐慌による社会不安、そして関東軍の独走体質という三つの流れが重なって爆発した事件です。ここに至るまでの経緯を見ておきましょう。

満州の権益と関東軍

日本は1905年のポーツマス条約(日露戦争の講和条約)でロシアから南満州鉄道の権益と遼東半島南端(関東州)の租借権を得ました。これを守るために置かれたのが関東軍です。満鉄沿線の守備と経営権益の維持が名目でしたが、しだいに独自の行動をとる体質が強まっていきました。

世界恐慌と社会不安

1929年のウォール街崩壊に端を発した世界恐慌は日本にも波及し、農村の窮乏・失業者の激増を招きました。「満州を手に入れれば食料や資源の問題が解決する」という論調が軍部・国民の間で広がり、武力行使への心理的障壁が低くなっていました。

張作霖爆殺事件との関係

1928年、関東軍の河本大作らは満州の軍閥・張作霖の乗った列車を爆破して暗殺しました(張作霖爆殺事件)。政府はこれを処分しようとしましたが、軍の反発で有耶無耶になりました。この「失敗」は関東軍に「やり切れば既成事実になる」という教訓を与え、満州事変の強行につながりました。

石原莞爾の世界最終戦争論

関東軍作戦主任参謀の石原莞爾は「日米が最終決戦を行う前に、まず満州を確保して自給自足の国力基盤を作るべきだ」という独自の世界観を持ち、板垣征四郎師団長代理と謀略を計画・実行しました。陸軍中央も事前に察知していたとも言われます。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

柳条湖事件(謀略の実行)

≒ 自作自演によるきっかけ作り

1931年9月18日夜、関東軍は奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を自ら爆破。「中国軍の仕業だ」と発表し、軍事行動の口実にした。

満州全域の占領

≒ 政府の制止を無視した軍の独走

関東軍は東京の政府・軍中央が「不拡大方針」を指示するなかで次々と都市を占領。数か月で満州全域を掌握した。

満州国の建国

≒ 傀儡国家の設立

1932年3月、清朝最後の皇帝・溥儀を執政(翌1934年に皇帝)とする「満州国」を建国。実権は関東軍が握る傀儡国家だった。

リットン調査団と国際連盟脱退

≒ 国際社会からの孤立

国際連盟はイギリスのリットンを委員長とする調査団を派遣。1932年秋に「満州国不承認」を答申し、1933年2月の総会でこれを採択。日本全権・松岡洋右は演壇を退場し、同年3月に国際連盟を脱退した。

前後のできごと
年表
1905
権益獲得ポーツマス条約で南満州鉄道権益と関東州租借権を取得。関東軍の前身が置かれる。
1928
張作霖爆殺関東軍の将校が満州の軍閥・張作霖を列車爆破で暗殺。軍の独走体質が表面化。
1931
満州事変9月18日、柳条湖事件を口実に関東軍が軍事行動を開始。満州全域を占領。
1932
満州国建国3月1日、溥儀を執政とする満州国を建国。五・一五事件(5月15日)で犬養毅首相が暗殺される。
1933
国際連盟脱退国際連盟が満州国不承認を採択。日本は脱退を通告(実際の脱退は2年後の1935年)。
1937
日中戦争盧溝橋事件をきっかけに日中全面戦争へ拡大。満州事変から続く十五年戦争が本格化。
結果とその後
結果
短期的には関東軍が満州の広大な土地と資源を確保し、日本の「生命線」として満蒙開拓団が送り込まれた。
政府の制止を無視した軍の独走が既成事実となり、以後の軍部優位・政党政治の形骸化を決定づけた。国際連盟脱退により日本は国際協調の枠組みから外れ、孤立を深めて太平洋戦争へと突き進んだ。
登場人物
人物

石原莞爾

関東軍作戦主任参謀

「世界最終戦争論」を唱え、満州事変の立案・実行を主導した。のちに軍拡に反対に転じる。

板垣征四郎

関東軍高級参謀(師団長代理)

石原と組んで謀略を実行。満州国建国後は軍政の中心を担った。

溥儀

清朝最後の皇帝・満州国執政/皇帝

辛亥革命で退位した清朝の皇帝。関東軍に担ぎ出され満州国の元首となった傀儡。

犬養毅

内閣総理大臣

満州事変に批判的で満州国承認に慎重だったが、1932年の五・一五事件で海軍青年将校に暗殺された。

松岡洋右

国際連盟総会・日本首席全権

1933年の国際連盟総会で演壇を退場し、連盟脱退を宣言した。

キーワード解説
用語
柳条湖事件
1931年9月18日に関東軍が南満州鉄道の線路を自ら爆破し、中国側の仕業と偽った謀略事件。満州事変の引き金となった。
関東軍
中国の関東州(遼東半島南端)と南満州鉄道沿線を守備するために置かれた日本陸軍の部隊。満州事変を独走で引き起こした。
傀儡国家
名目上は独立した国家だが、実際の権力を別の国が握っている国のこと。満州国は関東軍が実権を握り、溥儀は形式上の元首だった。
リットン調査団
国際連盟が満州事変を調査するためイギリスのリットン伯爵を委員長として派遣した調査団。満州国不承認を勧告した。
統帥権の独立
明治憲法下で軍の指揮権(統帥権)は天皇に直属し、内閣の管轄外とされた制度。関東軍の独走を正当化する根拠に使われた。
もっと知りたい
豆知識

1爆破は「わずか80センチ」だった

関東軍が爆破した南満州鉄道の線路は、ごく短い区間(約80センチ)だけでした。爆発後も列車はその上を通過できたほど軽微なものでしたが、これを口実に大規模な軍事行動が始まりました。

2東京は「事変は起こすな」と命じていた

関東軍が行動を起こした時、陸軍中央(参謀本部)は「不拡大方針」を指示していました。しかし関東軍は無視して既成事実を作り、中央も追認せざるを得ない状況に追い込まれました。

3松岡洋右の「演壇退場」は計算ずく?

1933年の国際連盟総会で松岡洋右が演壇を退場したシーンは劇的に伝わっていますが、当時の日本政府はすでに脱退を覚悟しており、退場は演出的な意味合いも強かったとされます。

4溥儀は「望んで皇帝になったわけではない」と証言

戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で溥儀は、関東軍に強制されて満州国の元首になったと証言しました。もっとも、かつての帝位復活を望む動機もあったとも言われ、評価は分かれます。

5「満州国」を承認した国はごく少数だった

国際連盟の勧告により、満州国を正式に承認する国は長くごく限られていました。最初に承認したのはエルサルバドル(1934年)で、その後はドイツ・イタリアなど日本と枢軸を組んだ国々が承認したものの、多くの国は最後まで満州国を認めませんでした。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
年号1931の語呂は「い(1)く(9)さ(3)ひ(1)(戦の引き金)、満州事変」。
きっかけは柳条湖事件(関東軍による南満州鉄道爆破=自作自演)。
1932年に満州国建国、溥儀が執政(1934年から皇帝)。
国際連盟がリットン調査団を派遣→満州国不承認→1933年日本が国際連盟脱退。
関東軍の独走=統帥権の問題として政党政治の終焉・軍部台頭と結びつけて覚える。
語呂クイズ
「戦の引き金、満州事変」= 満州事変は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 満州事変と日中戦争はどう違いますか?
A. 満州事変(1931年)は中国東北部(満州)に限定した軍事行動です。日中戦争(1937年〜)は盧溝橋事件をきっかけに中国全土に戦線が拡大した全面戦争で、規模がまったく異なります。
Q. 柳条湖事件とは何ですか?
A. 1931年9月18日に関東軍が南満州鉄道の線路を自ら爆破し、中国軍の仕業と偽って軍事行動を起こした謀略事件です。満州事変の直接の引き金になりました。
Q. 溥儀はなぜ満州国の皇帝になったのですか?
A. 辛亥革命(1912年)で退位した清朝最後の皇帝・溥儀を、関東軍が満州国の正統性を演出するために担ぎ出しました。実権は関東軍が握る傀儡の立場でした。
Q. 日本はなぜ国際連盟を脱退したのですか?
A. 国際連盟がリットン調査団の報告をもとに満州国不承認の決議を採択したためです。これを受け入れられなかった日本は1933年に脱退を通告しました。
Q. 満州事変はなぜ「十五年戦争の起点」と呼ばれるのですか?
A. 1931年の満州事変から1945年の敗戦まで約15年間、日本はほぼ一貫して戦争状態にありました。その始まりが満州事変であるため、一連の戦争をまとめて「十五年戦争」と呼ぶことがあります。
まとめ

満州事変は、関東軍がわずか80センチの線路爆破という謀略から始め、政府の制止を振り切って満州全域を占領し、傀儡国家・満州国を作り上げた事件です。軍部の独走が既成事実となり、政党政治は骨抜きにされていきました。国際連盟脱退によって日本は国際協調の枠から外れ、孤立を深めながら十五年戦争へと突き進む道を歩み始めます。「い(1)く(9)さ(3)ひ(1)(戦の引き金)、満州事変」の語呂とともに、近代日本が暗転する決定的な転換点として押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
関東軍の独走については、陸軍中央が事前に察知していたという説もあり、完全な「独走」かどうかは歴史的議論がある。本文では通説に準じた記述としている。
国際連盟脱退の通告は1933年3月だが、連盟規約上の正式脱退は2年後の1935年3月。試験では「1933年脱退」として扱うことが多い。
柳条湖事件の爆破規模(約80センチ)は戦後の調査・証言にもとづく通説。