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石油危機(オイルショック)の浮世絵イラスト
高度経済成長の終焉中学/社会
1973

石油危機(オイルショック)

田中角栄(内閣総理大臣)/アラブ産油国(OAPEC・OPEC)
語呂
覚え方
行く波(1973)押し寄せ、石油危機
行く(1・9)波(7・3)押し寄せ、石油危機

1973年(昭和48年)10月、第四次中東戦争を機にアラブの産油国が原油の輸出制限と大幅な価格引き上げを断行しました。原油に依存しきっていた日本経済は激烈なインフレ(狂乱物価)に見舞われ、スーパーからトイレットペーパーが消えるほどの買い占め騒動が全国で起きました。翌1974年には戦後初のマイナス成長を記録し、1955年以来約20年続いた高度経済成長はここで終わりを告げます。以後、日本は省エネルギーと安定成長へと路線を転換しました。

この記事のポイント

  • 1973年10月、第四次中東戦争をきっかけにOAPEC・OPECが原油の供給制限と価格引き上げを実施
  • 原油価格は約4倍に急騰し、日本では激しいインフレ(狂乱物価)が発生
  • トイレットペーパーや洗剤などの買い占め・売り惜しみ騒動が全国に波及
  • 翌1974年、日本の実質経済成長率はマイナスとなり戦後初のマイナス成長を記録
  • 1955年から続いた高度経済成長が終わり、省エネルギー・安定成長への転換が始まった
ここが面白い

「トイレットペーパーが消えた」狂乱物価の裏で、戦後ずっと続いた高度経済成長がひっそりと幕を閉じた。

ここに至るまでの流れ
背景

オイルショックはある日突然やってきたように見えますが、実は中東情勢の緊張と日本の石油依存という二つの「地雷」が、長年にわたって積み上げられてきた結果です。1973年に至るまでの流れをたどってみましょう。

高度経済成長と石油依存

1955年ごろから始まった高度経済成長期、日本は鉄鋼・石油化学・自動車などの重化学工業を急拡大しました。エネルギー源は石炭から石油へと急速に切り替わり、1970年代初頭には一次エネルギーの約75%を石油が占めるまでになっていました。その石油のほぼすべてを中東からの輸入に頼っていたのです。

中東の緊張:アラブ対イスラエル

1948年のイスラエル建国以来、アラブ諸国とイスラエルは繰り返し武力衝突を繰り広げました。1967年の第三次中東戦争でイスラエルに領土を奪われたエジプト・シリアは雪辱を期し、1973年10月6日(ユダヤ教の祭日「ヨム・キプール」)に奇襲攻撃を開始。これが第四次中東戦争です。

OAPECの石油戦略

アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は第四次中東戦争を機に石油を「武器」として使うことを決定しました。イスラエルを支持する国への石油輸出を禁止し、全体の生産量も段階的に削減。OPEC(石油輸出国機構)も同調して原油公示価格を一気に約4倍に引き上げました。安い石油を前提に成長してきた先進工業国は軒並み打撃を受けましたが、中東への依存度が特に高かった日本へのダメージは深刻でした。

「物価の優等生」から「狂乱物価」へ

原油価格の高騰は電力・ガス・輸送から素材・製品まで広範にコストを押し上げました。さらに将来の物不足を恐れた消費者・業者による買い占め・売り惜しみが加わり、トイレットペーパー、洗剤、砂糖など日常品が店頭から消えました。田中角栄内閣は物価対策に追われましたが、1974年の消費者物価上昇率は前年比約23%にまで達しました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

原油の供給制限と価格4倍ショック

≒ エネルギー価格の急騰によるコストプッシュインフレ

OAPECが輸出削減・禁輸を実施し、OPECが原油公示価格を約4倍(1バレル約3ドル→約12ドル)に引き上げた。日本の輸入コストが激増し、全産業のコスト構造が一変した。

狂乱物価と買い占め騒動

≒ 生活物資の品薄と急激なインフレ

トイレットペーパーや洗剤などの品薄が報じられると消費者が店頭に殺到。政府は「買いだめ禁止」を呼びかけたが、デマ情報も加わり混乱が全国に拡大した。

戦後初のマイナス成長と高度経済成長の終焉

≒ 成長モデルの転換

1974年の実質GDP成長率は戦後初めてマイナス(約−1%)となった。1955年から続いた年平均10%前後の高度経済成長はここで終わり、省エネ・安定成長路線へシフトした。

前後のできごと
年表
1973
第四次中東戦争10月6日、エジプト・シリアがイスラエルに奇襲。OAPEC・OPECが石油戦略を発動。
1973
石油危機勃発原油価格が約4倍に急騰。日本政府は石油節約令・省エネ対策を相次いで発動。
1974
狂乱物価・マイナス成長消費者物価上昇率約23%。実質GDP成長率が戦後初のマイナスを記録。高度経済成長が終わる。
1974
田中内閣退陣物価高騰と金脈問題への批判が重なり、田中角栄首相が12月に退陣。
1979
第二次オイルショックイラン革命を機に再び原油価格が急騰(第二次石油危機)。日本は省エネ推進でこれを比較的小さな打撃で乗り越える。
1980
省エネ技術が世界へ二度のオイルショックを経て省エネ化した日本の自動車・家電が国際競争力を高め、輸出大国化が進む。
結果とその後
結果
△1974年に戦後初のマイナス成長を記録し、約20年続いた高度経済成長が完全に終わった。
◎石油危機を機に省エネルギー技術や産業構造の転換が進み、日本経済は安定成長・技術立国の路線へと移行した。
登場人物
人物

田中角栄

内閣総理大臣(1972〜1974年)

石油危機対応に追われ、物価高騰と金脈問題で1974年12月に退陣。日本列島改造論を掲げた高度成長末期の首相。

ヤーマニー(アフマド・ザキ・ヤーマニー)

サウジアラビア石油相

OPEC・OAPECの石油戦略を主導。「石油大臣の星」と称された交渉の主役。

ニクソン(リチャード・ニクソン)

当時のアメリカ大統領

イスラエルを支援したためにアラブ産油国の禁輸対象となり、アメリカも石油危機の直撃を受けた。

サダト(アンワル・サダト)

エジプト大統領

第四次中東戦争を主導。後にイスラエルと和平を結び1978年ノーベル平和賞を受賞。

キーワード解説
用語
オイルショック(石油危機)
産油国の政策転換により原油の供給や価格が激変し、石油輸入国の経済が大きく揺らいだ出来事。第一次(1973年)と第二次(1979年)がある。
OAPEC
アラブ石油輸出国機構。アラブ系産油国が石油政策を調整するための組織。1973年の危機では石油を「政治の武器」として使用した。
OPEC
石油輸出国機構。中東を中心とした主要産油国が原油生産量・価格を協調して決める組織。OAPECと連動して原油価格を大幅に引き上げた。
狂乱物価
1973〜74年に日本で起きた急激なインフレの総称。消費者物価上昇率が一年で約23%に達し、日常品の品不足・価格急騰が社会問題になった。
高度経済成長
1955年ごろから1973年のオイルショックまで続いた、年平均10%前後の急激な経済成長期。重化学工業を中心に日本が急速に豊かになった時代。
もっと知りたい
豆知識

1トイレットペーパー騒動は「デマ」が引き金だった

1973年11月、大阪のスーパーで「石油不足でトイレットペーパーも品薄になる」というデマが流れ、主婦たちが大量に買い占める姿がテレビで放映された。これが全国に伝わり、本当に店頭から消えるという「予言の自己成就」が起きた。実際には紙は石油製品ではなく木材パルプが原料で、直接的な不足は当初なかった。

2ネオンサインと深夜放送が消えた

政府は石油節約のためにさまざまな「節約令」を発動した。ガソリンスタンドの日曜休業、テレビの深夜放送終了の繰り上げ(NHKは深夜12時以降放送中止)、ネオンサインの消灯、高速道路での速度制限引き下げなどが相次ぎ、都市部の夜景が一変した。

3省エネ技術の逆転劇――日本車が世界を席巻

オイルショックで低燃費車の需要が世界的に急増した。燃費の悪い大排気量車が主流だったアメリカ市場に、コンパクトで燃費の良いトヨタやホンダの車が一気に浸透。これが日本の自動車産業の飛躍的な発展を後押しした。危機が産業転換の追い風になった典型例である。

4田中角栄の「日本列島改造論」が裏目に

田中角栄首相は1972年に「日本列島改造論」を掲げ、公共投資による地方開発を推進していた。しかしこれが土地・資材の需要を押し上げ、オイルショックによるインフレと重なって物価上昇をさらに加速させてしまった。石油危機は「田中インフレ」とも呼ばれた。

5第二次オイルショック(1979年)は比較的軽症だった

1979年のイラン革命による第二次オイルショックでも原油価格は急騰したが、第一次ほどの打撃にはならなかった。第一次ショックを教訓に省エネ技術の開発・設備投資が進んでいたため、同じ製品を以前の半分以下のエネルギーで生産できる企業も増えていた。危機からの学習が次の危機への備えになった。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
1973年、第四次中東戦争をきっかけにOAPEC・OPECが原油供給制限・価格引き上げを実施。
翌1974年に戦後初のマイナス成長を記録し、1955年から続いた高度経済成長が終わった。
日本では狂乱物価・トイレットペーパー騒動が起きた(消費者物価上昇率約23%)。
以後、日本は省エネルギー技術を発展させ安定成長へ転換(第二次石油危機への備えにもなった)。
田中角栄内閣期の出来事。田中は物価高騰と金脈問題で1974年12月に退陣。
語呂クイズ
「行く波(1973)押し寄せ、石油危機」= 石油危機(オイルショック)は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 石油危機(オイルショック)はなぜ起きたのですか?
A. 1973年10月に第四次中東戦争が勃発し、アラブ産油国(OAPEC)がイスラエルを支持する国への石油輸出を制限しました。同時にOPECが原油公示価格を約4倍に引き上げたため、石油輸入国の経済が大打撃を受けました。
Q. 日本ではどのような影響がありましたか?
A. 原油価格の高騰が電気・輸送・製品コストに波及し、激しいインフレ(狂乱物価)が発生しました。トイレットペーパーなどの買い占め騒動も起き、翌1974年には戦後初のマイナス成長を記録しました。
Q. 高度経済成長はいつ終わったのですか?
A. 1955年ごろから始まった高度経済成長は、第一次石油危機後の1974年にマイナス成長を記録したことで終わりを告げたとされます。約20年間、年平均10%前後の成長が続いた時代でした。
Q. オイルショックの教訓は何ですか?
A. 特定のエネルギー源・輸入先への過度な依存の危険性が明らかになりました。日本はこれを機に省エネルギー技術を急速に発展させ、第二次石油危機(1979年)では被害を比較的小さく抑えることに成功しています。
Q. 語呂「行く波(1973)押し寄せ、石油危機」はどう読みますか?
A. 「行く(い・く=1・9)波(な・み=7・3)押し寄せ、石油危機」と読みます。1973の各桁を「い(1)く(9)な(7)み(3)」に当てており、石油危機の波が押し寄せるイメージです。
まとめ

石油危機は「エネルギーの無防備な依存」がいかに経済全体を揺るがすかを日本社会に痛切に教えました。トイレットペーパー騒動に象徴される混乱の一方で、この危機が日本の省エネ技術の飛躍的な発展を促し、後に日本の自動車・家電が世界を席巻する土台を作ったとも言えます。「行く波(1973)押し寄せ」の語呂とともに、高度経済成長の終わりと安定成長への転換点として押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
第四次中東戦争は1973年10月6日開戦(ヨム・キプール戦争とも呼ばれる)。
OAPECは石油輸出の禁輸・削減を実施したアラブ産油国の組織、OPECは価格決定を行った産油国全体の組織(両者は連動した別組織)。
1974年の消費者物価上昇率「約23%」は総務省統計局データに基づく通説的数値。
戦後初マイナス成長は1974年(実質GDP成長率約−1.2%)。高度経済成長の終わりはこの年を指すのが通説。