高度経済成長期 ①中学/社会
1964
東京オリンピック(東海道新幹線開業)
池田勇人(内閣総理大臣)
語呂
覚え方
行く虫(1964)、東京五輪
い(1)く(9)む(6)し(4)
1964年(昭和39年)10月、東京でアジア初の夏季オリンピックが開催されました。前年に池田勇人内閣が「所得倍増計画」を掲げて高度経済成長を加速させるなか、日本は五輪を「戦後復興の完成」と世界に示す舞台として位置づけました。開会式の10日前には東海道新幹線(東京〜新大阪)が開通し、首都高速道路や選手村など都市インフラも整備。女子バレーボール日本代表(東洋の魔女)の金メダルをはじめ、93か国・地域から約5000人の選手が参加した祭典は、日本国民に高い一体感と自信をもたらしました。
この記事のポイント
- 1964年10月10日、東京でアジア初の夏季オリンピックが開幕(池田勇人内閣期)
- 同年10月1日に東海道新幹線(東京〜新大阪)が開通し、世界最速の鉄道として注目を浴びた
- 首都高速道路・選手村・ホテルなど都市インフラが急速に整備され、戦後復興を国際社会に示した
- 女子バレーボール日本代表(東洋の魔女)が金メダルを獲得し、国民的熱狂を呼んだ
- カラーテレビの普及が加速し、高度経済成長期の消費社会の象徴となった
ここが面白いアジア初の夏季五輪は、新幹線開業のわずか10日後に開幕した。
東京オリンピックは突然決まったのではなく、1930年代から続く長い歴史があります。また、五輪開催に向けて日本が急速に変化した高度経済成長の流れを理解することが、この出来事の本質をつかむ鍵です。
幻の1940年東京五輪
実は東京が初めてオリンピック開催権を得たのは1936年のことです。1940年大会の開催が決まりましたが、日中戦争の長期化を背景に日本は返上。その後、第二次世界大戦によって大会自体が中止となりました。1964年の東京大会は、この「幻の五輪」から24年越しのリベンジでもありました。
戦後復興と国際社会への復帰
1945年の敗戦後、日本は連合国の占領下におかれ、国際社会から孤立していました。1951年のサンフランシスコ平和条約で独立を回復し、1956年には国際連合にも加盟。しかし経済的・文化的な意味で「戦後が終わった」と世界に示す場が必要でした。東京五輪はその絶好の機会だったのです。
高度経済成長と所得倍増計画
1950年代後半から日本経済は年率10%前後の高度経済成長を続けていました。1960年に池田勇人内閣が打ち出した「所得倍増計画」は、10年で国民所得を2倍にするという大胆な目標で、国民に前向きな空気をもたらしました。五輪はこの経済的勢いを世界に見せる舞台として機能しました。
インフラ整備の加速
五輪開催決定を受けて、東京の都市インフラ整備は急ピッチで進みました。首都高速道路の建設、羽田空港の拡張、選手村の整備、大型ホテルの建設。そして最大の目玉が東海道新幹線です。東京〜新大阪間約515kmを4時間(のちに3時間10分)で結ぶ世界初の高速鉄道は、五輪開幕のわずか10日前に開通しました。
東海道新幹線の開業(10月1日)
≒ 世界初の高速鉄道が五輪に先立って走り出した東京〜新大阪間を結ぶ世界初の高速鉄道。五輪開幕10日前に開通し、日本の技術力を世界に示した象徴となった。
女子バレーボール金メダル(東洋の魔女)
≒ 国民的熱狂を呼んだ日本チームの快挙大松博文監督率いる日本女子バレーチームがソ連を破って金メダルを獲得。国内のテレビ視聴率は66%を超えたとされ、五輪フィーバーを象徴する出来事となった。
カラーテレビと国民的体験
≒ マスメディアによる一体感の醸成NHKが初めてカラーテレビで五輪を放映。放映を機にカラーテレビの普及が加速し、消費社会の幕開けともなった。
1936初招致1940年大会の開催権を東京が獲得するも、日中戦争拡大を受けて返上。大会は中止に。
1959招致決定IOC総会でオリンピック第18回大会(1964年)の東京開催が決定。
1960所得倍増計画池田勇人内閣が所得倍増計画を発表。高度経済成長が本格化。
1964新幹線開業10月1日、東海道新幹線(東京〜新大阪)開業。世界初の高速鉄道が実現。
1964五輪開幕10月10日、東京オリンピック開幕。93か国・地域から約5000人が参加。
1964女子バレー金女子バレーボール日本代表(東洋の魔女)がソ連を破り金メダルを獲得。
1968メキシコ五輪次のオリンピックはメキシコシティで開催。東京の成功が五輪の規模拡大を後押し。
1973高成長の終わり石油危機(オイルショック)により高度経済成長が終焉。東京五輪はその黄金期の頂点だった。
◎日本は「戦後の奇跡」を世界に発信することに成功し、国際社会への完全復帰を印象づけた。高度経済成長のさらなる加速と国民の自信回復につながった。
△急速なインフラ整備は多くの地域住民の立ち退きを伴い、都市再開発による格差や環境問題の萌芽でもあった。五輪後も高度成長は続くが、1973年の石油危機で急ブレーキがかかる。
池田勇人
内閣総理大臣(1960〜64年)所得倍増計画を打ち出し、五輪開催を政治的に主導した。五輪閉会直後に病気を理由に辞任し、佐藤栄作に首相を引き継いだ。
大松博文
女子バレーボール日本代表監督「東洋の魔女」の異名をとる日本女子チームを育て上げた鬼の監督。猛練習で世界一を達成。
坂井義則
最終聖火ランナー1945年8月6日、広島への原爆投下当日に誕生した青年として選ばれ、平和へのメッセージを込めた聖火台への点火は世界に強い印象を与えた。
アベベ・ビキラ
エチオピア選手(マラソン)1964年東京大会のマラソンで優勝し連覇を達成。前回ローマ大会に続く偉業として称えられた。
- 東洋の魔女
- 女子バレーボール日本代表チームの異名。大松博文監督の厳しい訓練でソ連などの強豪を連破し、東京五輪で金メダルを獲得した。
- 東海道新幹線
- 東京〜新大阪間を結ぶ世界初の高速鉄道。1964年10月1日に開業し、開業時の最高速度は時速210km。戦後日本の技術力を象徴する存在。
- 所得倍増計画
- 1960年に池田勇人内閣が打ち出した経済政策。10年間で国民所得を2倍にすることを目標とし、高度経済成長を政策的に後押しした。
- 高度経済成長
- 1950年代後半から1973年の石油危機まで続いた日本の急速な経済発展。年率10%前後の成長が続き、日本を世界第2位の経済大国に押し上げた。
110月10日が「体育の日」になった理由
東京オリンピックの開会式が行われた1964年10月10日は、晴れの特異日(統計的に晴れやすい日)として選ばれた。この日が後に「体育の日」として国民の祝日となり、長年にわたって10月10日固定で祝われた(2000年からハッピーマンデー制度で変更)。
2世界初のカラーテレビ生中継
NHKは東京五輪の一部競技をカラーテレビで初めて生中継した。当時まだカラーテレビは高価だったが、五輪をきっかけに普及が一気に加速。1960年代後半にはカラーテレビ・クーラー・カーの「3C」が新たな三種の神器と呼ばれるようになった。
3幻の1940年大会から24年越しのリベンジ
東京は1936年に1940年大会の開催権を獲得したが、日中戦争拡大を受けて返上。第二次世界大戦で大会自体が中止となった。1964年の東京大会は約24年越しの悲願達成であり、日本人にとって特別な意味を持つ大会となった。
4聖火ランナーは原爆の日に生まれた青年
最終聖火ランナーに選ばれた坂井義則は、広島への原爆投下日である1945年8月6日生まれ。平和の象徴としての五輪というメッセージを世界に伝え、各国メディアが大きく報道した。
5東海道新幹線は「夢の超特急」と呼ばれた
開業当時の最高速度は時速210km。それまでの特急列車の最高速度の約2倍で、東京〜大阪間を4時間(その後3時間10分)に短縮した。「夢の超特急」と呼ばれ、日本の技術力の象徴として世界に衝撃を与えた。

ここが出る博士のワンポイント
1964年10月、東京でアジア初の夏季オリンピックが開催。語呂は「行く虫(1964)」。
同年10月1日に東海道新幹線(東京〜新大阪)が開業。五輪開幕の10日前。
開催時の内閣は池田勇人内閣(所得倍増計画と高度経済成長の推進者)。
女子バレーボール(東洋の魔女)が金メダルを獲得。国民的な話題となった。
高度経済成長・戦後復興の完成を世界に示した出来事として位置づけられる。
語呂クイズ
「行く虫(1964)、東京五輪」= 東京オリンピック(東海道新幹線開業)は西暦何年?
- Q. 東京オリンピックが「アジア初」なのはなぜですか?
- A. 1964年の東京大会以前、近代オリンピックはすべてヨーロッパとアメリカの都市で開催されていました。東京が初めてアジアの地にオリンピックをもたらした大会です。
- Q. 東海道新幹線と東京五輪の関係は?
- A. 五輪開幕に合わせてインフラを整備する国家プロジェクトの一環で、1964年10月1日に東海道新幹線が開業しました。五輪開幕の10日前です。外国からの訪問客に日本の技術力を見せる狙いもありました。
- Q. 「東洋の魔女」とはどんなチームですか?
- A. 1964年東京五輪の女子バレーボール日本代表の愛称です。大松博文監督の厳しい訓練で世界トップクラスの実力を持ち、決勝でソ連を破って金メダルを獲得しました。
- Q. 池田勇人内閣と東京五輪の関係は?
- A. 池田勇人首相は所得倍増計画を掲げて高度経済成長を政策的に推進した人物です。東京五輪もその象徴的プロジェクトとして位置づけられましたが、五輪閉会直後に病気を理由に辞任しました。
- Q. 東京五輪後、日本経済はどうなりましたか?
- A. 五輪後も高度経済成長は続きました。ただし1973年の石油危機(オイルショック)で急ブレーキがかかり、高度成長は終焉を迎えます。東京五輪はその黄金期の頂点ともいえる出来事でした。
1964年の東京オリンピックは、単なるスポーツの祭典ではありませんでした。敗戦から19年、日本が戦後復興を成し遂げ、高度経済成長の真っただ中にあることを世界に示した「国家プロジェクト」でした。東海道新幹線の開業、女子バレーの金メダル、カラーテレビの普及。これらはすべてその時代の空気を象徴しています。語呂「行く虫(い1く9む6し4)」で1964年を押さえ、新幹線開業・池田勇人内閣・東洋の魔女とセットで記憶しておきましょう。
編集メモ(ファクト)
女子バレーの視聴率66%超は当時のNHK公式記録に基づく。数字は資料によって異なる場合がある。
東海道新幹線開業は1964年10月1日、五輪開幕は同年10月10日。「10日前」という表現はこれに基づく。
坂井義則の1945年8月6日生まれについては公式記録で確認されている事実。