戦後日本の歩み ③中学/外交
1972
沖縄返還・日中国交正常化
佐藤栄作(内閣総理大臣)
語呂
覚え方
行く夏(1972)の沖縄、本土復帰
い(1)く(9)な(7)つ(2)
1972年5月15日、佐藤栄作内閣のもとで、アメリカが統治してきた沖縄の施政権が日本に返還されました。1945年の太平洋戦争終結後、27年間にわたってアメリカの統治下に置かれていた沖縄が、ついに日本本土へ復帰した歴史的な日です。佐藤首相は「核抜き・本土並み」を掲げ、非核三原則(核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず)を表明してアメリカと粘り強く交渉。沖縄県民の長年の願いだった本土復帰が実現しました。ただし、復帰後も島の広大な面積を米軍基地が占め続け、基地問題は現在に至るまで解決されていません。
この記事のポイント
- 1972年5月15日、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還(本土復帰)
- 終戦から27年間、沖縄はアメリカの施政権下に置かれていた
- 佐藤栄作首相が「核抜き・本土並み」を実現し、非核三原則を表明
- 返還後も広大な米軍基地は残り、基地問題は現在も続いている
- 佐藤栄作はこの功績もあり、1974年にノーベル平和賞を受賞
ここが面白い「核抜き・本土並み」を実現した返還。しかし広大な米軍基地は残り、基地問題は今も続く。
沖縄返還は、1945年の沖縄戦終結から27年間に及ぶ長い歴史の末に実現しました。なぜ沖縄だけが長期間アメリカの施政権下に置かれ、それがどのように返還へと至ったのか、流れを整理しましょう。
沖縄戦と戦後の分断
1945年3〜6月、沖縄では史上最大規模の上陸作戦(沖縄戦)が行われ、県民の約4人に1人が命を落としました。同年9月の日本降伏後、沖縄はアメリカ軍の直接統治下に置かれます。1952年のサンフランシスコ講和条約発効で日本が独立を回復した後も、沖縄はアメリカの施政権下にとどまりました。
「島ぐるみ闘争」と本土復帰運動
1950年代、米軍による土地の強制接収に反対する「島ぐるみ闘争」が沖縄全土で起こりました。「本土並みの権利を」「日本に戻りたい」という声は高まり続け、1960年代には本土復帰運動がさらに組織的になっていきます。
佐藤・ニクソン交渉と「核抜き・本土並み」
1969年、佐藤栄作首相はニクソン米大統領と会談し、「核抜き・本土並み」での返還を取り付けます。「核抜き」とは米軍の核兵器を沖縄に持ち込まないこと、「本土並み」とは日本本土と同じ法的地位で返還することを意味します。佐藤首相はこの方針を受けて非核三原則(持たず・作らず・持ち込ませず)を国会で表明しました。
1972年5月15日の返還
1971年に日米間で沖縄返還協定が調印され、翌1972年5月15日に施政権の移行式が行われました。「沖縄の日」と呼ばれるこの日、那覇市では返還を喜ぶ一方で、残存する米軍基地への複雑な思いも交差しました。
施政権の返還
≒ 行政・立法・司法すべての権限を日本へ移管アメリカが保持していた沖縄の統治権限(行政・立法・司法)が日本政府に移った。沖縄県が設置され、住民は日本国民として日本の法律のもとで暮らせるようになった。
非核三原則の表明
≒ 日本の核政策の基本方針を国際的に宣言「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」の三原則を佐藤首相が国会で表明。アメリカとの交渉で「核抜き」を実現させるための政策的前提となった。
米軍基地の継続
≒ 返還後も全国最大規模の米軍基地が存続返還後も在沖米軍基地は撤去されず、現在も沖縄本島の約15%が米軍基地・施設に占められている。騒音・事件事故など基地問題は沖縄の最大課題として続く。
1945沖縄戦沖縄戦終結。米軍の直接統治下に置かれる。約12万人の沖縄県民が犠牲になった。
1952講和条約サンフランシスコ講和条約発効。日本は独立するが沖縄はアメリカ施政権下にとどまる。
1956島ぐるみ闘争土地の強制接収に反対する「島ぐるみ闘争」が沖縄全土で起こる。
1969日米首脳会談佐藤・ニクソン会談。「核抜き・本土並み」での1972年返還に合意。
1971返還協定調印日米間で沖縄返還協定(琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定)が調印される。
1972本土復帰5月15日、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還。沖縄県が設置される。
1974ノーベル賞佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞。沖縄返還や非核三原則が評価された。
◎27年間の米国施政権下に終止符を打ち、沖縄は法的に日本本土と同じ地位を回復した。佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞。
△返還後も在沖米軍基地は残存し、基地面積・騒音・事件事故などの問題は現在も続いている。「本土並み」の実質的な実現は道半ばともいわれる。
佐藤栄作
内閣総理大臣(在任1964〜1972年)「核抜き・本土並み」を交渉原則として掲げ、沖縄返還を実現。非核三原則を表明し、1974年にノーベル平和賞を受賞。
リチャード・ニクソン
アメリカ合衆国大統領1969年の日米首脳会談で佐藤首相と返還合意。1972年の米中和解(ニクソン訪中)とあわせて東アジア戦略を大きく転換した。
屋良朝苗
初代沖縄県知事1972年の本土復帰にともない初代沖縄県知事に就任。基地問題の解決と沖縄振興を訴え続けた。
瀬長亀次郎
沖縄の政治家・本土復帰運動の指導者米軍統治下で本土復帰・反基地を唱えた代表的指導者。「不屈」の人として知られる。
- 施政権
- ある地域を行政・立法・司法の面で統治する権限。沖縄返還では「領土としての主権」は日本が持ったまま、「施政権」だけがアメリカに預けられていた形だった。
- 非核三原則
- 「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」の三原則。佐藤栄作首相が1967年に表明し、沖縄返還交渉の基本方針となった。1971年に国会で決議。
- 核抜き・本土並み
- 沖縄返還の交渉原則。核兵器を沖縄に持ち込まないこと(核抜き)と、日本本土と同じ法的地位での返還(本土並み)を意味する。
- 在沖米軍基地
- 返還後も沖縄に存続する米軍の基地・施設群。現在も沖縄本島面積の約15%を占め、全国の米軍専用施設の約70%が集中している。
1返還の日、那覇では雨が降っていた
1972年5月15日の返還式典は、東京の日本武道館と那覇市の琉球政府立法院広場で同時に行われた。那覇は雨模様で、喜びと複雑な思いが交錯する式典となった。
2通貨はドルから円へ一夜にして変わった
返還前の沖縄ではアメリカドルが法定通貨だった。1972年5月15日を境に日本円に切り替わり、住民は手持ちのドルを円に換えた。ドル払いから円払いへの切り替えは生活に大きな変化をもたらした。
3佐藤首相は引退会見で記者を追い出した
沖縄返還を実現した佐藤栄作は1972年に退陣。引退会見でテレビカメラを嫌い「新聞記者は帰れ」と発言して物議をかもした。ノーベル賞受賞は2年後の1974年のことである。
4「本土並み」でも残った差:沖縄振興特別措置法
復帰後、沖縄は経済格差解消のために「沖縄振興特別措置法」などの特別立法で優遇措置を受けてきた。これは「本土並み」では格差が埋まらないとの判断による。振興策は現在も継続されている。
5ノーベル平和賞に批判の声も
佐藤栄作の1974年ノーベル平和賞受賞に対し、核禁止運動の活動家からは「非核三原則が形骸化している」と批判があった。また、ベトナム戦争に使われた米軍基地を沖縄に残したまま受賞することへの異論も出た。

ここが出る博士のワンポイント
返還日は1972年5月15日。語呂は「行く夏(1972)の沖縄、本土復帰」。
「核抜き・本土並み」が交渉の原則。非核三原則(持たず・作らず・持ち込ませず)とセットで覚える。
返還を実現した首相は佐藤栄作。後にノーベル平和賞を受賞(1974年)。
返還後も在沖米軍基地は残り、基地問題は現在も続いている点を押さえる。
同年1972年に日中国交正常化(田中角栄内閣)も起きているが、返還を主導したのは佐藤内閣。
語呂クイズ
「行く夏(1972)の沖縄、本土復帰」= 沖縄返還・日中国交正常化は西暦何年?
- Q. 沖縄はいつ日本に返還されましたか?
- A. 1972年5月15日です。この日、アメリカが統治していた沖縄の施政権が日本に返還され、沖縄県が設置されました。
- Q. 沖縄はなぜ27年間もアメリカの統治下に置かれたのですか?
- A. 1945年の沖縄戦後、アメリカ軍が沖縄を占領し統治を開始しました。1952年のサンフランシスコ講和条約で日本は独立しましたが、沖縄はアメリカの施政権下にとどまりました。冷戦構造のなかで沖縄は米軍の重要拠点とされたため、返還交渉には長い時間が必要でした。
- Q. 非核三原則とは何ですか?
- A. 「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」の三原則です。佐藤栄作首相が表明し、1971年に国会で決議されました。沖縄返還の交渉で「核抜き」を実現するための政策的根拠となりました。
- Q. 返還後も米軍基地が残っているのはなぜですか?
- A. 日米安全保障条約に基づき、在日米軍の駐留が続いているためです。「核抜き・本土並み」の返還でも基地の撤去は交渉の対象外でした。現在も沖縄本島の約15%が米軍基地・施設に占められています。
- Q. 佐藤栄作はなぜノーベル平和賞を受賞したのですか?
- A. 沖縄返還の実現と非核三原則の表明が評価されました。1974年に受賞し、日本の政治家では初めてのノーベル賞受賞者となりました。
沖縄返還は、1945年の沖縄戦から27年間にわたる県民の本土復帰への願いが結実した歴史的な出来事です。「核抜き・本土並み」という交渉原則のもと、佐藤栄作内閣が粘り強く実現しました。しかし、基地問題という大きな宿題を残したままであることも忘れてはなりません。「行く夏(1972)の沖縄、本土復帰」の語呂で年号を覚えつつ、返還の意義と残された課題の両面を理解しておきましょう。
編集メモ(ファクト)
goroは「行く夏(1972)の沖縄」:い(1)く(9)な(7)つ(2)。行く夏=いくなつ で 1972。
1972年には沖縄返還と日中国交正常化(田中角栄内閣)の両方が起きているが、このページは沖縄返還に特化。
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