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平等院鳳凰堂の建立の浮世絵イラスト
摂関政治から院政へ ②高校/文化
1053

平等院鳳凰堂の建立

藤原頼通(ふじわらのよりみち)
語呂
覚え方
十円玉でおなじみ平等院鳳凰堂
とお(10)ご(5)さん(3)=1053

1053年(天喜元年)、関白・藤原頼通は、父・道長から受け継いだ宇治の別荘を寺に改め、翌年にかけて阿弥陀堂(のちの鳳凰堂)を建立しました。前年の1052年は「末法元年」とされ、仏の教えが廃れる時代に入ったと人々は恐れていました。そんな不安の時代に、頼通は現世に極楽浄土を再現しようとしたのです。本尊の阿弥陀如来坐像は名仏師・定朝による寄木造の傑作で、日本彫刻史の頂点の一つとされます。鳳凰堂は現在も京都府宇治市に現存し、世界遺産に登録されています。また、10円硬貨の表面と1万円札の鳳凰の意匠にも使われた、日本を代表する建築遺産です。

この記事のポイント

  • 1053年、藤原頼通が父・道長の宇治の別荘を平等院に改め、阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立
  • 前年1052年が「末法元年」とされ、浄土教・阿弥陀信仰への傾倒が強まった時代背景がある
  • 本尊・阿弥陀如来坐像は定朝作。寄木造(よせぎづくり)という技法を完成させた傑作
  • 現存する唯一の国風文化期の阿弥陀堂建築で、世界遺産「古都京都の文化財」の一つ
  • 10円硬貨の表面の建物として知られ、1万円札にも鳳凰の意匠が用いられている
ここが面白い

10円硬貨の表面に描かれた建物は、1053年に建てられた阿弥陀堂。「末法の世」という絶望感が生んだ、美しすぎる浄土の再現だった。

ここに至るまでの流れ
背景

平等院鳳凰堂は、突然生まれた建物ではありません。藤原氏の全盛期が過ぎつつあるなかで、「末法」という宗教的な危機感と、浄土教の広がりという時代の流れが重なって生まれました。その背景を順にたどってみましょう。

末法思想とは何か

仏教には、釈迦の入滅から一定の年数が経つと「正法」「像法」「末法」という時代が続くという考え方があります。末法の世では仏の教えが衰え、修行しても悟りを得られない、という恐ろしい時代です。平安時代の日本では、1052年がまさに末法元年にあたると信じられていました。飢饉や疫病、天変地異が続く世情と重なり、人々の不安は高まっていました。

浄土信仰の広まり

末法の世への恐怖から、「阿弥陀如来に帰依して念仏を唱えれば極楽浄土に往生できる」という浄土教が急速に広まりました。源信(恵心僧都)が著した『往生要集』(985年)は、地獄と極楽のようすを詳しく描き、念仏往生の道を説いて貴族から庶民まで大きな影響を与えました。

藤原道長から頼通へ

藤原道長は「この世をば わが世とぞ思ふ」と詠んだように、摂関政治の絶頂を極めました。しかし頼通の代になると、後継の天皇に外戚としてつながれず、摂関家の政治的地位は徐々に低下していきます。頼通は父から宇治の別荘を受け継ぎ、1052年にそれを平等院として寺に改めました。政治的な焦りと末法への恐怖の両方が、壮大な仏教建築建立の動機になったとみられます。

定朝と寄木造の完成

鳳凰堂本尊の阿弥陀如来坐像を手がけたのは、仏師・定朝(じょうちょう)です。それまでの仏像は一本の木から彫り出す「一木造」が主流でしたが、定朝は複数の木材を組み合わせる「寄木造」を大成させました。分業で効率よく制作でき、大型化・量産化が可能になる画期的な技法です。定朝の阿弥陀如来坐像は現存作のなかで唯一の確実な真作とされています。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

極楽浄土の再現

≒ テーマパーク的な「理想世界の可視化」

鳳凰堂は池の中島に建ち、水面に映る姿が極楽の宝池を思わせる設計。壁には極楽の様子を描いた「雲中供養菩薩像」52体が今も残る。

定朝の阿弥陀如来坐像

≒ 国宝指定・寄木造の完成形

温和で穏やかな表情の丈六(約2.8m)の坐像。量産・分業を可能にした寄木造を完成させた歴史的傑作で、後世の仏像制作に決定的な影響を与えた。

10円硬貨・1万円札への採用

≒ 日本の「顔」になった建築

1951年から現行の10円硬貨の表面のデザインに採用。1万円札の裏面にも鳳凰が描かれており、日本人にとって最も身近な文化財の一つ。

前後のできごと
年表
985
往生要集源信が『往生要集』を著し、浄土教・念仏往生の思想が広まる契機となる。
1016
道長摂政藤原道長が摂政となり、摂関政治の絶頂を迎える。
1052
末法元年・平等院創建この年が末法元年とされる。藤原頼通が宇治の別荘を平等院として寺に改める。
1053
鳳凰堂建立阿弥陀堂(のちの鳳凰堂)が完成。定朝作の阿弥陀如来坐像が安置される。
1086
院政開始白河上皇が院政を開始。摂関政治は衰退へ向かう。
1994
世界遺産登録「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコ世界遺産に登録される。
結果とその後
結果
現存する唯一の国風文化期の阿弥陀堂建築として、約1000年後の現在も京都府宇治市に残り、世界遺産に登録されている。
頼通の時代に摂関政治は全盛期を過ぎており、その後は院政に取って代わられた。鳳凰堂は藤原摂関家の栄華の「最後の輝き」とも評される。
登場人物
人物

藤原頼通

関白・平等院の開基

藤原道長の長男。70年近く関白・太政大臣を務めた。父の宇治別荘を寺に改め鳳凰堂を建立した。

藤原道長

頼通の父・前の権力者

「この世をば わが世とぞ思ふ望月の…」と詠んだ摂関政治の最高権力者。宇治の別荘は道長の所有だった。

定朝

仏師

寄木造を大成させた平安時代最高の仏師。鳳凰堂の阿弥陀如来坐像は現存する唯一の確実な真作。

源信(恵心僧都)

天台宗の僧・浄土教の普及者

985年に『往生要集』を著し、念仏による往生を広めた。鳳凰堂建立の思想的背景を準備した人物。

キーワード解説
用語
末法思想
釈迦入滅から2000年後に末法の世が到来し、仏の教えが廃れるという仏教の歴史観。1052年が末法元年とされた。
浄土信仰(浄土教)
阿弥陀如来の本願を信じ念仏を唱えることで、死後に極楽浄土へ往生できるという信仰。末法思想と結びついて平安時代に広まった。
寄木造(よせぎづくり)
複数の木材を組み合わせて仏像を制作する技法。定朝が完成させ、大型化・分業・量産を可能にした。
鳳凰堂
平等院の阿弥陀堂の通称。屋根に一対の鳳凰像があることと、上空から見た形が鳥が羽を広げたように見えることから江戸時代以降この名がついた。
国風文化
遣唐使廃止(894年)以降、唐の影響から離れて日本独自の美意識が発展した平安中期の文化。平仮名・源氏物語・寝殿造などもこの文化の所産。
もっと知りたい
豆知識

1「鳳凰堂」という名は後世のもの

建立当初は単に「阿弥陀堂」と呼ばれていた。屋根に一対の鳳凰(銅製・金メッキ)があることと、上から見ると鳥が羽を広げた形に見えることから、江戸時代以降「鳳凰堂」と呼ばれるようになった。現在屋根上にある鳳凰はレプリカで、本物は平等院ミュージアム鳳翔館に展示されている。

210円硬貨のデザイン採用は1951年

現行の10円青銅貨は1951年(昭和26年)に製造開始。表面に鳳凰堂、裏面に「10」の文字と常盤木(とこわぎ)が描かれている。10円玉は日常生活で最も目にする機会が多い硬貨の一つであり、鳳凰堂の知名度を国民的なものにした。

3雲中供養菩薩像は52体

鳳凰堂の内壁には、雲に乗って楽器を奏で踊る「雲中供養菩薩像」が52体取り付けられている。それぞれ異なるポーズをとっており、極楽浄土のにぎやかな様子を表している。このうち約半数が堂内で見学でき、残りは平等院ミュージアムに収蔵されている。

4道長の望月の歌と宇治の別荘

宇治の地に別荘を持っていたのは藤原道長。道長はここで「この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思へば」と詠み、摂関政治の頂点を歌った。その子・頼通がこの場所を寺に改めたのは、権力の移り変わりのなかで宗教に救いを求めた姿とも受け取れる。

5世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産

平等院は1994年にユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の17資産のうちの一つとして登録された。京都府と滋賀県にわたる遺産群のなかで、唯一宇治市内にある構成資産でもある。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
建立年は1053年。語呂は「とお(10)ご(5)さん(3)」→「十円玉でおなじみ平等院鳳凰堂」。
建立者は藤原頼通。父・道長の宇治別荘を寺(平等院)に改め、阿弥陀堂(鳳凰堂)を建てた。
前年1052年が「末法元年」とされた末法思想・浄土信仰の代表的建築として押さえる。
本尊の阿弥陀如来坐像は定朝作。寄木造の完成形として仏像彫刻史上の重要作品。
摂関政治の文化的遺産。院政(1086年〜)への移行と結びつけて時代の流れを押さえること。
語呂クイズ
「十円玉でおなじみ平等院鳳凰堂」= 平等院鳳凰堂の建立は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. 平等院鳳凰堂はどこにありますか?
A. 京都府宇治市にあります。JR・近鉄の宇治駅から徒歩10分ほどの場所で、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つです。
Q. 誰がいつ建てたのですか?
A. 1053年(天喜元年)に関白・藤原頼通が建立しました。父・道長から受け継いだ宇治の別荘を、前年の1052年に平等院として寺に改め、阿弥陀堂を完成させました。
Q. なぜ10円玉に鳳凰堂が描かれているのですか?
A. 1951年に現行の10円青銅貨が製造される際に選ばれました。日本を代表する歴史的建造物として採用され、以来日本人に最もなじみの深い文化財の一つとなっています。
Q. 末法思想とは何ですか?
A. 釈迦が亡くなってから時代が下るほど仏の教えが廃れ、最終的には「末法」という仏法の効力が失われた時代が来るという仏教の歴史観です。平安時代の日本では1052年がその末法元年にあたると信じられていました。
Q. 定朝とはどんな人物ですか?
A. 平安時代中期を代表する仏師で、複数の木材を組み合わせる「寄木造」を完成させたことで知られます。鳳凰堂の阿弥陀如来坐像は、現存する確実な定朝の真作として唯一のものです。
まとめ

平等院鳳凰堂は、「末法元年」の翌年に建てられた、浄土教の祈りが結晶化した建築です。藤原頼通が現世に極楽浄土を再現しようとした切実な思いと、定朝による寄木造の芸術が重なって生まれました。摂関政治の栄華の最後の輝きとも評されるこの建物は、約1000年を経た今も宇治の地に残り、10円硬貨という形で私たちの日常に溶け込んでいます。「とお(10)ご(5)さん(3)=1053」の語呂で年号を覚えながら、末法思想・浄土信仰・定朝・寄木造という4つのキーワードをセットで押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
「鳳凰堂」という名称は江戸時代以降の通称。建立当時は「阿弥陀堂」と呼ばれていた。
屋根上の鳳凰は現在レプリカで、本物はミュージアム鳳翔館に収蔵されている。
1万円札(現行・旧来含む)への鳳凰意匠採用は確認されているが、図案の細部は改版ごとに異なるため詳細は日本銀行の公式資料で確認すること。