
藤原頼通
ふじわらの・よりみち 992–1074 / 平安・公家
平等院鳳凰堂を建てた関白基本データ
- よみ
- ふじわらの・よりみち
- 生没年
- 992–1074
- 別名
- 宇治関白・宇治殿
- おもな地位・官職
- 摂政・関白・太政大臣
- 父母
- 父は藤原道長
- 氏族
- 藤原氏(藤原北家)
- ゆかりの地
- 宇治(山城国)
どんな人?
藤原頼通(ふじわらの・よりみち)は、父・藤原道長の権力を受け継ぎ、摂政・関白として摂関政治の全盛期を支えた平安時代の公家です。1016年に道長が摂政となり藤原氏が権勢を極めた時代に、頼通は道長の長男としてその地位を継ぎました。
頼通は約50年にわたり関白・太政大臣を務め、宇治にあった父・道長の別荘を寺に改めて、1053年に平等院鳳凰堂を建立したことで知られます。極楽浄土を思わせるその建築は、王朝文化の栄華を今に伝えています。
おもな業績・つくったもの
- 宇治に平等院鳳凰堂を建立(1053年)父から受け継いだ宇治の別荘を寺に改め建てた阿弥陀堂。極楽浄土を思わせる王朝文化の代表建築で、10円硬貨の図柄にもなっている。
- 約50年にわたり摂政・関白を歴任後一条天皇らのもとで長く関白を務め、摂関政治の全盛期を支えた。関白に就かなかった父・道長との違いとされる。
- 父・道長を継ぎ摂関政治の全盛を支える道長の長男として藤原北家の地位を継ぎ、天皇の外戚として権勢を握る摂関政治の最盛期を担った。
- 定朝作の阿弥陀如来坐像を鳳凰堂に安置仏師・定朝が寄木造で仕上げた丈六の坐像。量産・分業を可能にした技法の傑作で、後世の仏像制作に大きな影響を与えた。
生涯のあゆみ(年表)
- 992藤原道長の長男として生まれる
- 1017後一条天皇のもとで摂政に就任する解説を見る →
- 1053宇治の別荘を寺に改め平等院鳳凰堂を建立する解説を見る →
- 1068約50年務めた摂関の座を弟教通に譲る
- 1074宇治で没する
ゆかりの地
平等院鳳凰堂京都府頼通が1053年に建立した阿弥陀堂
豆知識
父の別荘を寺に変えた
頼通は父・道長から受け継いだ宇治の別荘を寺院に改め、平等院とした。その阿弥陀堂がのちに鳳凰堂と呼ばれ、現在の10円硬貨の図柄になっている。
父と違い関白に就任
父・道長は摂政や太政大臣を務めたが実は関白には就いていない。子の頼通は後一条天皇らのもとで長く関白を務め、摂関政治の全盛期を支えた。
外孫に恵まれなかった
頼通は娘を天皇の后としたが皇子が生まれず、外戚として天皇を支配しきれなかった。これが摂関政治の衰えと院政台頭の一因になったとされる。
人物相関
藤原頼通
よくある質問
藤原頼通は何をした人?
父・藤原道長を継いで摂政・関白を約50年務め、摂関政治の全盛期を支えた平安時代の公家です。宇治に平等院鳳凰堂を建立したことで知られます。
平等院鳳凰堂とは何ですか?
頼通が父から受け継いだ宇治の別荘を寺に改め、1053年に建てた阿弥陀堂です。極楽浄土を思わせる建築で、現在の10円硬貨の図柄にもなっています。
父・道長との違いは何ですか?
道長は摂政や太政大臣を務めたものの関白には就いていません。子の頼通は後一条天皇らのもとで長く関白を務めた点が異なります。