
推古天皇
すいこてんのう 554–628 / 飛鳥・天皇・皇族
日本初の女性天皇基本データ
- よみ
- すいこてんのう
- 生没年
- 554–628
- 別名
- 額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)
- おもな地位
- 第33代天皇(日本初の女性天皇)
- 父
- 欽明天皇
- 母
- 蘇我堅塩媛
- 夫
- 敏達天皇
- 縁者
- 甥に聖徳太子、大叔父に蘇我馬子
どんな人?
推古天皇(すいこてんのう)は、日本初の女性天皇とされる第33代天皇です。593年に即位し、甥にあたる聖徳太子を摂政に任じて政治を安定させました。
その治世には冠位十二階(603年)や十七条の憲法(604年)が定められ、607年には小野妹子を遣隋使として派遣するなど、飛鳥の国家形成が大きく進みました。蘇我馬子の姪でもあり、有力豪族と皇族が並び立つ時代に長く在位した女帝です。
おもな業績・つくったもの
- 聖徳太子を摂政に任命(593年)甥の聖徳太子を摂政とし、蘇我馬子と協調して政務を任せた。天皇中心の飛鳥改革を推進する体制を整えた。
- 冠位十二階を制定(603年)徳・仁・礼・信・義・智を大小に分けた12階の位階制。家柄でなく個人の才能・功績で人材を登用する画期的な制度となった。
- 十七条の憲法を制定(604年)「和を以て貴しとなす」など役人・豪族への17か条の心得。天皇を頂点とする秩序と協調を説き、国家の道徳的基盤とした。
- 小野妹子を遣隋使として派遣(607年)隋の煬帝へ「日出づる処の天子」の国書を送り、対等外交をめざした。留学生の派遣は後の大化の改新の下地となった。
生涯のあゆみ(年表)
- 593即位し、甥の厩戸皇子(聖徳太子)を摂政とする解説を見る →
- 603冠位十二階を制定し、才能による人材登用を進める解説を見る →
- 604十七条の憲法が定められる解説を見る →
- 607小野妹子を遣隋使として隋へ派遣する解説を見る →
- 628崩御する
ゆかりの地
飛鳥寺奈良県蘇我馬子が建立した日本最古の本格的寺院で、推古朝を象徴する飛鳥の寺
豆知識
日本史上初の女性天皇
593年に即位した推古天皇は、記録に残る日本最初の女性天皇とされる。崇峻天皇暗殺後の政情不安を収めるため、皇族内で信望の厚かった彼女が選ばれたと伝わる。
甥・聖徳太子を摂政に
推古天皇は甥にあたる厩戸皇子(聖徳太子)を摂政とし、蘇我馬子と協力しながら冠位十二階や十七条憲法など飛鳥の政治改革を進めた。
豊御食炊屋姫という和風諡号
推古天皇の和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)と伝わる。「推古」は後世に贈られた漢風諡号である。
人物相関
推古天皇
よくある質問
推古天皇は何をした人?
日本で記録に残る最初の女性天皇とされ、593年に即位しました。甥の聖徳太子を摂政に任じ、蘇我馬子と協力して冠位十二階や十七条の憲法、遣隋使の派遣など飛鳥の政治改革を進めました。
推古天皇はなぜ即位できたの?
崇峻天皇が暗殺された後の政情不安のなか、皇族内で信望が厚かった彼女が推されて即位したと伝わります。有力豪族の蘇我氏との血縁も背景にあったとされます。