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キリスト教伝来(ザビエル)の浮世絵イラスト
戦国の対外交流 ②中学/文化
1549

キリスト教伝来(ザビエル)

フランシスコ=ザビエル(イエズス会宣教師)
語呂
覚え方
以後よく(1549)広まるキリスト教
以後(15)よく(49)広まるキリスト教

1549年(天文18年)、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸し、日本にキリスト教をもたらしました。大航海時代に世界へ広がったカトリックの布教活動の一環で、ザビエルは約2年間にわたって日本各地を歩き回りながら布教しました。戦国大名のなかにはキリスト教に入信する者も現れ(キリシタン大名)、南蛮文化が日本社会に根づいていきます。しかし後の江戸幕府はキリスト教を禁じ、島原・天草一揆(1637年)を経て鎖国(1639年)へと向かいます。「以後よく(1549)広まるキリスト教」の語呂とともに、日本と西洋の出会いの原点として押さえておきましょう。

この記事のポイント

  • 1549年、イエズス会宣教師ザビエルが鹿児島に上陸してキリスト教を伝えた
  • ザビエルは約2年間日本に滞在し、京都・山口・大分など各地で布教した
  • 大友・大村・有馬などの戦国大名がキリスト教に入信(キリシタン大名)
  • 南蛮文化(南蛮貿易・パン・カステラ・活版印刷など)が日本に広まった
  • 後の幕府による禁教→島原・天草一揆(1637年)→鎖国(1639年)につながる
ここが面白い

ザビエルは日本語をほとんど話せないまま布教を始めた。通訳を頼ったのは、かつて罪を犯して逃亡していた日本人だった。

ここに至るまでの流れ
背景

ザビエルがある日とつぜん日本に現れたわけではありません。その背景には、15〜16世紀のヨーロッパで始まった大航海時代と、カトリック教会の世界布教戦略があります。日本への伝来は、そのグローバルな動きの延長線上にありました。

大航海時代とイエズス会の誕生

15世紀末、スペインとポルトガルは大西洋・インド洋の航路を次々と開拓し、アジア・アフリカ・アメリカへと進出しました。この時代、カトリック教会はプロテスタントの台頭(宗教改革)に対抗するため、海外布教に力を入れます。1534年にイグナティウス・デ・ロヨラが創設したイエズス会は、その尖兵的な存在でした。厳しい訓練と高い教育水準を持つ修道士たちが、アジアの最前線へ次々と送り込まれました。

ザビエルのアジア布教

フランシスコ=ザビエルはイエズス会の創設メンバーの一人です。1542年にインドのゴアに赴き、その後マレー半島・現在のインドネシア方面でも布教活動を行いました。1547年、マラッカでザビエルは鹿児島出身の日本人ヤジロウと出会います。ヤジロウから日本の話を聞いたザビエルは「日本こそ布教に値する地だ」と確信し、日本行きを決意しました。

鹿児島への上陸(1549年)

1549年8月、ザビエルはヤジロウらを通訳として鹿児島に上陸しました。薩摩の領主・島津貴久は当初布教を許可し、ザビエルは鹿児島での布教を始めます。その後、平戸・山口・京都などを訪ね歩きました。京都では将軍・天皇への謁見を望みましたが果たせず、再び山口に戻り大内義隆から布教の許可を得て本格的な活動を展開しました。大分(豊後)では大友義鎮(宗麟)に歓迎されるなど、戦国大名の庇護を得ながら布教を進めました。

約2年の滞在を経て離日

ザビエルは1551年に日本を離れ、次の布教地・中国への入国を目指す途上、1552年に広東省沖の上川島(サンシャン島)で病没しました(遺体は後にインドのゴアへ移されました)。日本での滞在は約2年と短かったものの、彼が残した布教の種は後継の宣教師たちが育てていきます。16世紀後半にはキリシタン(キリスト教徒)の数が数万人規模に増え、九州を中心に多くのキリシタン大名が生まれました。

やったこと(≒ 現代でいうと)
何を

鹿児島への上陸・布教開始

≒ 現地パートナーを得たスタートアップの市場参入

日本人ヤジロウを通訳に鹿児島へ上陸。島津氏の許可を得て布教を開始した。日本語を解さないまま、ヤジロウ訳の粗削りな文章で教えを説いた。

各地の戦国大名への働きかけ

≒ 有力インフルエンサーへのトップアプローチ

山口の大内義隆、豊後の大友義鎮(宗麟)らに近づき、布教許可と保護を得た。大名の庇護なしには安定した活動ができない戦国時代の現実を見抜いた戦略だった。

後継者への布教ネットワークの引き継ぎ

≒ 事業の現地法人化

ザビエル離日後も後継の宣教師が来日し布教を継続。数万人規模のキリシタンが生まれ、南蛮貿易・南蛮文化ともに日本社会に根を張った。

前後のできごと
年表
1534
イエズス会創設ロヨラらがイエズス会を創設。アジアへの布教活動が本格化する。
1543
鉄砲伝来ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝える。南蛮との接触が深まる。
1547
ヤジロウとの出会いマラッカでザビエルが日本人ヤジロウと出会い、日本布教を決意。
1549
キリスト教伝来ザビエルが鹿児島に上陸。日本に初めてキリスト教が伝わる。
1551
ザビエル離日ザビエルが日本を離れる。約2年間の滞在で布教の基礎を築く。
1560
桶狭間の戦い織田信長が今川義元を破る。信長はキリスト教に比較的寛容な態度をとった。
1582
天正遣欧使節九州のキリシタン大名がローマ教皇への少年使節を派遣。
1637
島原・天草一揆禁教と重税への不満からキリシタンを含む民衆が蜂起。幕府が鎮圧。
1639
鎖国の完成ポルトガル船の来航を禁止し、鎖国体制が完成。キリスト教の根絶を図る。
結果とその後
結果
南蛮貿易が活発化し、鉄砲・火薬・生糸・ガラス製品などが輸入された。パン・カステラ・てんぷらなど現在も残る食文化も伝わった。
江戸幕府はキリスト教を禁じ、信者への弾圧を強化。島原・天草一揆(1637年)の鎮圧を経てポルトガル船を締め出し(1639年)、鎖国体制を完成させた。
登場人物
人物

フランシスコ=ザビエル

イエズス会宣教師(スペイン出身)

イエズス会の創設メンバー。インド・東南アジアで布教後、1549年に来日。1552年、中国入国を目指す途上の上川島(サンシャン島)で死去。

ヤジロウ(アンジロウ)

日本人通訳

鹿児島出身。マラッカでザビエルと出会い、日本への案内役・通訳を務めた。ザビエルの布教を支えた最初の日本人協力者。

大友義鎮(宗麟)

豊後(大分)の戦国大名

ザビエルを歓迎したキリシタン大名の代表格。天正遣欧使節(1582年)の派遣を支援した。

大村純忠

肥前(長崎)の戦国大名

日本初のキリシタン大名とされる。長崎をイエズス会に寄進したことで知られる。

有馬晴信

肥前(島原)の戦国大名

天正遣欧使節の派遣を支援したキリシタン大名の一人。

キーワード解説
用語
イエズス会
1534年にロヨラらが結成の誓いを立て、1540年にローマ教皇の正式認可を受けたカトリックの修道会。教育と海外布教を重視し、アジア・アメリカへの伝道を積極的に進めた。
キリシタン大名
キリスト教に入信した戦国大名の総称。大友義鎮・大村純忠・有馬晴信らが代表例。南蛮貿易の利益も入信の動機の一つだった。
南蛮文化
ポルトガル・スペインなど「南蛮」と呼ばれた南方のヨーロッパ諸国からもたらされた文物・習俗の総称。パン・カステラ・てんぷら・活版印刷など。
天正遣欧使節
1582年、九州のキリシタン大名(大友・大村・有馬)が4人の少年をローマ教皇のもとへ派遣した外交使節。ヨーロッパの文物・音楽・印刷技術を持ち帰った。
もっと知りたい
豆知識

1ザビエルの通訳は「逃亡者」だった

ヤジロウは故郷で人を傷つけた(一説には殺した)罪を犯して逃亡し、ポルトガル船でマラッカへたどり着いた人物とされる。そのヤジロウがザビエルに日本を紹介し、通訳として来日を支えた。布教の起点が、ひとりの逃亡者との偶然の出会いだったのは歴史の皮肉である。

2「カステラ」はキリスト教伝来が起源

南蛮菓子として伝わったカステラはポルトガル語の菓子が原型とされ、長崎を中心に日本に根付いた。てんぷらも「テンポーラ(四旬節の精進料理)」に由来するという説がある。文化の伝来は食卓にまで及んでいた。

3ザビエルは日本語をほぼ話せなかった

ザビエル自身は日本語を習得できず、布教の大半をヤジロウや現地で学んだ文章に頼った。それでも山口では大内義隆に謁見し、2か月で数百人を改宗させたとされる。言葉の壁を超えた布教への情熱がうかがえる。

4信長はキリスト教に好意的だった

織田信長は仏教勢力(比叡山・一向宗など)と対立していたため、キリスト教を政治的に利用できる存在として比較的寛容に扱った。安土に教会(セミナリオ)の建設を認め、宣教師のオルガンティーノと交流したとも伝わる。

日本史の博士
ここが出る博士のワンポイント
伝来年は1549年、人物はザビエル(イエズス会)、場所は鹿児島。語呂は「以後よく(1549)広まるキリスト教」。
鉄砲伝来(1543年・種子島)と混同しない。どちらも「伝来」だが年・内容・伝えた人物がすべて異なる。
キリシタン大名の代表は大友義鎮(宗麟)・大村純忠・有馬晴信の3名が頻出。
天正遣欧使節(1582年)はキリスト教伝来の結果として派遣された少年使節。本能寺の変と同年。
キリスト教伝来→禁教・弾圧→島原・天草一揆(1637)→鎖国(1639)の流れを一本の線でつかむこと。
語呂クイズ
「以後よく(1549)広まるキリスト教」= キリスト教伝来(ザビエル)は西暦何年?
よくある質問
FAQ
Q. キリスト教を伝えた人物は誰ですか?
A. イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルです。スペイン出身で、イエズス会の創設メンバーの一人です。
Q. ザビエルはどこに上陸しましたか?
A. 1549年に鹿児島(薩摩)に上陸しました。その後、山口・大分(豊後)などを訪ね、約2年間日本に滞在しました。
Q. キリシタン大名とは何ですか?
A. キリスト教に入信した戦国大名の総称です。大友義鎮(宗麟)・大村純忠・有馬晴信らが代表例で、九州に多くいました。
Q. 鉄砲伝来(1543年)とキリスト教伝来(1549年)の違いは?
A. 鉄砲伝来は1543年に種子島にポルトガル人が漂着して鉄砲をもたらした出来事。キリスト教伝来は1549年にザビエルが鹿児島に上陸した出来事です。年・内容・人物がすべて異なります。
Q. なぜキリスト教は後に禁止されたのですか?
A. 江戸幕府は、キリスト教が信者の団結を生み幕府への反抗につながることを恐れました。また、スペイン・ポルトガルの侵略手段になるという懸念もあり、17世紀に入ると禁教・弾圧が強まりました。
まとめ

1549年のキリスト教伝来は、単に「新しい宗教が来た」だけの出来事ではありません。大航海時代のグローバルな波が日本に直接到達した瞬間であり、南蛮貿易・南蛮文化・キリシタン大名という新しい社会現象を生み出しました。一方で、幕府はその影響力を危険視して禁教・弾圧に転じ、島原・天草一揆(1637年)を経て鎖国(1639年)へと向かいます。「以後よく(1549)広まるキリスト教」の語呂とともに、この伝来が後の日本の「閉国」につながる長い因果の出発点であることを押さえておきましょう。

編集メモ(ファクト)
ザビエルの滞在期間は1549年〜1551年の約2年間。布教者数の具体的数値は記録により幅があるため断定を避けた。
ザビエルの没地は中国・広東省沖の上川島(サンシャン島、1552年)。遺体は後にマラッカを経てインドのゴアへ移葬されたため、ゴアと混同されやすい点に注意。
イエズス会は1534年のモンマルトルの誓いを結成の起点とし、1540年に教皇パウルス3世の正式認可を受けた。
ヤジロウ(アンジロウ)の経歴は史料によって差異があり、『人を傷つけた』経緯は一説として記述した。
カステラ・てんぷらの語源については諸説あり、「とされる」「という説がある」と断定を避けた表現にしている。