
徳川家光
とくがわ・いえみつ 1604–1651 / 江戸・武将・大名
鎖国と参勤交代の3代将軍基本データ
- よみ
- とくがわ・いえみつ
- 生没年
- 1604–1651
- 別名
- 徳川家光(幼名:竹千代)
- 出身
- 江戸(徳川将軍家)
- おもな地位・官職
- 江戸幕府3代将軍
- 父母
- 父:徳川秀忠/母:江(崇源院)
- 祖父
- 徳川家康(初代将軍)
- 自称
- 「生まれながらの将軍」
どんな人?
徳川家光(とくがわ・いえみつ)は、鎖国と参勤交代の体制を確立した江戸幕府の第3代将軍です。「生まれながらの将軍」として将軍の権威を確立し、幕府権力の絶対化を推し進めました。
1635年には武家諸法度を改定して参勤交代を制度化し、大名統制を強化。対外的には、1639年にポルトガル船の来航を禁止し、1641年にオランダ商館を出島へ移して、いわゆる鎖国体制を完成させました。禁教の強化とあわせ、家光の時代に江戸幕府の支配体制が固まりました。
おもな業績・つくったもの
- 参勤交代を制度化(1635年)大名に一年おきの江戸と国元の往復を義務づけた制度。妻子を江戸に置かせ、幕府への反乱を抑える狙いがあった。
- ポルトガル船の来航を禁止(1639年)1639年、キリスト教布教を警戒してポルトガル船の来航を禁止。鎖国体制を大きく前進させた。
- オランダ商館を出島へ移し鎖国を完成(1641年)平戸のオランダ商館を長崎の出島へ移し、貿易を幕府が一元管理する体制を確立。いわゆる鎖国が完成した。
- キリスト教の禁圧を徹底絵踏や宗門改、寺請制度などで人々の信仰を管理し、キリシタンの摘発と根絶を徹底した。
生涯のあゆみ(年表)
- 16042代将軍・徳川秀忠の子として江戸に生まれる
- 1623父・秀忠から将軍職を譲られ3代将軍となる
- 1635武家諸法度を改定し参勤交代を制度化する解説を見る →
- 1637島原・天草一揆(島原の乱)が起こる
- 1639ポルトガル船の来航を禁止する解説を見る →
- 1641オランダ商館を出島へ移し鎖国を完成させる解説を見る →
- 1651江戸で死去(享年48)
ゆかりの地
出島長崎県オランダ商館を移し鎖国下の対外窓口とした人工島
日光東照宮栃木県家光が現在の豪華な社殿へ大規模に造り替えた
豆知識
参勤交代を制度化
3代家光は1635年の武家諸法度寛永令で参勤交代を明文化した。大名を定期的に江戸へ往来させる仕組みで、幕府の大名統制の要となった。
鎖国を完成させた将軍
家光の代にポルトガル船来航禁止やオランダ商館の出島移転が進み、西洋との窓口が長崎に一本化された。いわゆる鎖国体制が完成した。
「生まれながらの将軍」
家光は大名を集めて「自分は生まれながらの将軍だ」と述べ、父祖と違い初めから将軍として育った自負を示したと伝わる。将軍の権威を絶対化する姿勢の表れとされる。
人物相関
よくある質問
徳川家光は何をした人?
江戸幕府の3代将軍で、鎖国と参勤交代の体制を確立した人物です。1635年に参勤交代を制度化して大名統制を強め、1639年にポルトガル船の来航を禁じ、1641年にオランダ商館を出島へ移していわゆる鎖国を完成させました。
参勤交代とはどんな制度?
大名が一定期間ごとに江戸と自分の領地を往復し、江戸に妻子を住まわせる制度です。1635年に家光が武家諸法度で制度化しました。大名に費用を負担させて力を抑え、幕府の統制を強める仕組みでした。