
小野妹子
おのの・いもこ 生没年不詳 / 飛鳥・公家
隋に渡った遣隋使基本データ
- よみ
- おのの・いもこ
- 生没年
- 生没年不詳
- おもな地位・役職
- 遣隋使
- 別名
- 蘇因高(そいんこう/隋の史書での呼称)
どんな人?
小野妹子(おのの・いもこ)は、飛鳥時代に隋へ渡った遣隋使です。607年と608年の二度にわたって派遣され、隋の制度や文化を日本に持ち帰り、飛鳥の国家形成に貢献しました。中国の史書には「蘇因高(そいんこう)」という名でも記されています。
おもな業績・つくったもの
- 遣隋使として隋に渡る(607年)推古朝の外交使節として隋へ派遣され、隋の進んだ制度や文化を日本に持ち帰る役割を担った。
- 「日出づる処の天子」の国書を届ける隋の皇帝煬帝に届けたとされる国書。両国の君主をともに天子と称し、対等の立場を示そうとしたと伝わる。
- 翌608年に再び隋へ渡る答礼使裴世清の帰国に同行して再び隋へ渡った。留学生・学問僧も同行し、中国の制度や学問を学んだ。
生涯のあゆみ(年表)
- 607遣隋使として隋に渡り国書を届ける解説を見る →
- 608再び隋へ渡る
豆知識
「妹子」だが男性
小野妹子の名は現代では女性的に響くが、飛鳥時代には男性にも使われた名。妹子は男性で、遣隋使として正式な外交使節を務めた。
煬帝の返書を紛失
帰路、小野妹子は隋の煬帝から預かった返書を百済に奪われた(または紛失した)と報告した。重大な失態だが罪は問われず、真相は今も謎とされる。
人物相関
よくある質問
小野妹子は何をした人?
飛鳥時代に隋へ渡った遣隋使です。607年と608年の二度派遣され、隋の進んだ制度や文化を日本に持ち帰りました。中国の史書には蘇因高という名でも記されています。
「日出づる処の天子」の国書とは?
小野妹子が隋の皇帝・煬帝に届けたとされる国書の一節です。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」で始まり、隋と対等の立場を示そうとしたものとされます。