
近衛文麿
このえ・ふみまろ 1891–1945 / 昭和・政治家
日中戦争期の首相基本データ
- よみ
- このえ・ふみまろ
- 生没年
- 1891–1945
- 家柄
- 五摂家筆頭・近衛家(公家)
- おもな地位・役職
- 内閣総理大臣(三度)、貴族院議長
- 在任内閣
- 第1次〜第3次近衛内閣
どんな人?
近衛文麿(このえ・ふみまろ)は、日中戦争期に首相を務めた昭和の政治家です。公家出身の人気政治家で、三度にわたり内閣総理大臣を務めました。
第1次内閣のときに1937年の日中戦争が始まり、翌1938年には国家総動員法を成立させました。第2次内閣では1940年の日独伊三国同盟を締結するなど、戦時体制の主要な決断を下し、大政翼賛会の結成も主導しました。
おもな業績・つくったもの
- 日中戦争期の首相(第1次近衛内閣)第1次内閣のときに1937年の盧溝橋事件から日中戦争が始まり、戦線は中国全土へ拡大していった。
- 国家総動員法を制定(1938年)議会の審議を経ずに勅令で人・物資・労働力を統制できる法律。戦時統制体制の根幹となった。
- 日独伊三国同盟を締結(1940年)第2次内閣でドイツ・イタリアと軍事同盟を締結。枢軸国の一角として結びつきを強め、対米関係を悪化させた。
生涯のあゆみ(年表)
- 1937第1次内閣の時に日中戦争が始まる解説を見る →
- 1938国家総動員法を成立させ戦時体制を強める解説を見る →
- 1940第2次内閣で日独伊三国同盟を締結し大政翼賛会を結成する解説を見る →
- 1945敗戦後に死去する
豆知識
「一撃で解決」の誤算
日中戦争の開戦当初、近衛内閣周辺には短期で決着がつくとの楽観論があった。だが蒋介石は重慶へ退いて徹底抗戦を続け、戦争は泥沼化した。
政党を解消した新体制運動
近衛は既存政党にかわる強力な国民組織をめざす新体制運動を進め、1940年に大政翼賛会が発足した。多くの政党が自ら解散して合流した。
人物相関
近衛文麿
同盟の相手国指導者ヒトラー
よくある質問
近衛文麿は何をした人?
日中戦争期に三度首相を務めた昭和の政治家です。公家出身で、第1次内閣のときに日中戦争が始まり、国家総動員法の制定や日独伊三国同盟の締結、大政翼賛会の結成など戦時体制づくりを主導しました。
国家総動員法とは?
1938年、第1次近衛内閣のもとで成立した法律です。戦争遂行のため、政府が議会の承認なしに人・物資・労働力を統制・動員できるようにしたもので、戦時統制経済の柱となりました。
大政翼賛会とは?
1940年に近衛文麿が中心となって結成された組織です。既存の政党が解散して合流し、国民を戦争に協力させる体制づくりをめざしました。