
後白河法皇
ごしらかわほうおう 1127–1192 / 平安末・天皇・皇族
院政を敷いた策謀の帝基本データ
- よみ
- ごしらかわほうおう
- 生没年
- 1127–1192
- 別名
- 後白河院
- おもな地位・官職
- 天皇・上皇・法皇(院政)
- 父母
- 父は鳥羽天皇
- 編著
- 梁塵秘抄
- 在位
- 第77代天皇
どんな人?
後白河法皇(ごしらかわほうおう)は、平安時代末期に長く院政を敷き、源平の争乱期を巧みに生き抜いた策謀の帝です。天皇・上皇・法皇として、平清盛や源頼朝といった武家の実力者と対峙しながら朝廷を主導しました。
1167年に平清盛が太政大臣となった時期には、清盛と協調しつつも対立を繰り返し、のちに清盛によって幽閉される事態も招きました。平氏の力が衰えると、今度は源氏に接近します。
1185年の平氏滅亡前後には、源義経に頼朝追討を命じ、また頼朝に守護・地頭の設置を認めるなど、双方を利用して朝廷の権威を保とうとしました。1192年に頼朝が征夷大将軍となる直前、同年3月に崩御しました。
おもな業績・つくったもの
- 長期にわたり院政を敷き朝廷を主導天皇・上皇・法皇として長く院政を行い、平清盛や源頼朝ら武家の実力者と対峙しながら朝廷を導いた。
- 頼朝に守護・地頭の設置を勅許(1185年)平氏滅亡後、源頼朝に全国へ守護・地頭を置く権限を認めた。武家政権が全国支配を広げる大きな一歩となった。
- 今様を集めた歌謡集『梁塵秘抄』を編纂当時流行した歌謡「今様」を愛し、自ら歌謡集を編ませた。政治で辣腕をふるう一方、芸能に深く傾倒した帝でもあった。
- 平氏・源氏を利用し朝廷の権威を保つ平氏と源氏の対立を利用し、時に一方に接近しながら双方を牽制した。源平争乱期に朝廷の権威を保とうとした。
生涯のあゆみ(年表)
- 1127鳥羽天皇の皇子として生まれる
- 1158位を譲り院政を始める
- 1167平清盛が太政大臣となる時期に院政を主導する解説を見る →
- 1185頼朝に守護・地頭の設置を認める解説を見る →
- 1192頼朝が将軍となる直前に崩御する解説を見る →
豆知識
今様に夢中の法皇
後白河は当時の流行歌「今様」を愛し、みずから歌謡集『梁塵秘抄』を編ませた。政治で辣腕をふるう一方、芸能に深く傾倒した異色の帝でもあった。
今様を歌いすぎて喉を痛める
後白河は今様を愛するあまり歌いすぎて何度も喉を痛めたと自ら記している。芸能への並外れた熱中ぶりを示す逸話として知られる。
人物相関
よくある質問
後白河法皇は何をした人?
平安末期に長く院政を敷き、平清盛や源頼朝ら武家の実力者と対峙しながら朝廷を主導した天皇・上皇・法皇です。源平の争乱期を巧みに生き抜きました。
後白河法皇と武家の関係は?
平清盛と協調しつつ対立して幽閉されたこともありました。平氏が衰えると源氏に接近し、双方を利用して朝廷の権威を保とうとしました。
梁塵秘抄とは何ですか?
後白河が当時の流行歌である今様を集めて編ませた歌謡集です。政治で辣腕をふるう一方、芸能に深く傾倒した一面を伝えています。