
早良親王
さわらしんのう ?–785 / 奈良・天皇・皇族
怨霊として恐れられた親王基本データ
- よみ
- さわらしんのう
- 生没年
- ?–785
- おもな地位・役職
- 皇太子(のち廃太子)
- 兄
- 桓武天皇
- 追尊
- 崇道天皇
どんな人?
早良親王(さわらしんのう)は、桓武天皇の同母弟で皇太子でしたが、785年の藤原種継暗殺事件への関与を疑われて廃太子とされた親王です。淡路へ配流される途中で亡くなり、その後に相次いだ災難が早良親王の怨霊によるものと恐れられました。のちに崇道天皇と追尊され、その鎮魂が794年の平安京遷都の一因になったとも伝えられます。
おもな業績・つくったもの
- 桓武天皇の皇太子となる桓武天皇の同母弟として皇太子に立てられた。当初は次の皇位を継ぐ立場にあった。
- 藤原種継暗殺に連座し廃太子・配流785年の藤原種継暗殺事件への関与を疑われて廃太子とされ、淡路へ配流される途中で亡くなったと伝わる。
- 怨霊として恐れられる非業の死の後に災難が相次ぎ、その祟りと恐れられた。のち崇道天皇と追尊され、平安京遷都の一因とも伝わる。
生涯のあゆみ(年表)
- 785藤原種継暗殺事件に連座し廃太子とされ配流の途上で亡くなる
豆知識
怨霊から崇道天皇へ
藤原種継暗殺に連座して流罪となる途上、早良親王は絶食して抗議し憤死したと伝わる。後に相次ぐ災いが怨霊とされ、崇道天皇の号が追尊された。
平安京遷都との関わり
早良親王の怨霊への恐れは、長岡京を離れ794年に平安京へ遷都する一因になったとも伝えられる。都を移して災いから逃れる狙いがあったとされる。
人物相関
よくある質問
早良親王は何をした人?
桓武天皇の同母弟で皇太子でしたが、785年の藤原種継暗殺事件への関与を疑われて廃太子とされた親王です。配流の途中で亡くなり、その後に相次いだ災難が怨霊のしわざと恐れられました。
早良親王が怨霊とされたのはなぜ?
廃太子・配流されて非業の死を遂げた後、桓武天皇の身近で病死や凶事が相次ぎました。これを早良親王の祟りとみなす考えが広まり、鎮魂が図られたと伝えられます。
崇道天皇とは?
早良親王に後から贈られた天皇の号です。怨霊を鎮めるために追尊されたもので、実際に即位したわけではありません。