
藤原種継
ふじわらの・たねつぐ 737–785 / 奈良・公家
長岡京造営を担った公卿基本データ
- よみ
- ふじわらの・たねつぐ
- 生没年
- 737–785
- おもな地位
- 中納言・造長岡宮使
- 家柄
- 藤原式家
- 縁者
- 桓武天皇の信任を受けた公卿
どんな人?
藤原種継(ふじわらのたねつぐ)は、奈良時代末に桓武天皇の信任を得て長岡京の造営を担った公卿です。藤原式家の出身でした。
784年の長岡京遷都では造営の中心人物として指揮をとりましたが、翌785年に暗殺されました。この事件は桓武天皇が長岡京を断念し、794年の平安京遷都へと向かう一因になったとされます。
おもな業績・つくったもの
- 桓武天皇の信任を得て長岡京造営を指揮(784年)桓武天皇の厚い信任を得て、新都・長岡京の造営を指揮した。平城京からの遷都事業の中心人物となった。
- 造長岡宮使として遷都事業を担う造長岡宮使として都の建設と遷都の実務を担った。国家機能を新地に移す大事業の責任者を務めた。
- 785年に暗殺され長岡京断念の一因となる785年に造営中に暗殺された。事件で早良親王が廃太子となり、その怨霊への恐れが長岡京断念の一因となった。
生涯のあゆみ(年表)
- 737藤原式家の一族として生まれる
- 784桓武天皇の信任を得て長岡京造営を指揮する解説を見る →
- 785長岡京造営の最中に暗殺される
豆知識
新都で暗殺された造営責任者
藤原種継は長岡京造営の中心人物だったが、その最中に暗殺された。事件は早良親王の失脚につながったが、真の首謀者は史料が乏しく今も断定されていない。
娘は薬子の変の藤原薬子
藤原種継の娘・薬子は、後に平城上皇の寵愛を受け「薬子の変(平城太上天皇の変)」に関わった人物として知られる。
人物相関
藤原種継
よくある質問
藤原種継は何をした人?
奈良時代末の公卿で、桓武天皇の信任を得て長岡京の造営を指揮しました。しかし785年に造営の最中に暗殺され、この事件は長岡京の断念と794年の平安京遷都へ向かう一因になったとされます。
藤原種継の暗殺は歴史にどう影響した?
種継暗殺事件は早良親王の失脚に発展し、その後の政情不安の一因となりました。桓武天皇が長岡京を捨てて平安京へ遷都する背景ともなったと考えられています。