
物部守屋
もののべの・もりや ?–587 / 飛鳥・公家
排仏を唱えた古代の豪族基本データ
- よみ
- もののべの・もりや
- 生没年
- ?–587
- おもな地位・役職
- 大連(おおむらじ)
- 立場
- 排仏派(廃仏派)の中心
- 氏族
- 物部氏
どんな人?
物部守屋(もののべの・もりや)は、飛鳥時代に大連(おおむらじ)を務め、仏教の受容に反対した廃仏派の中心人物です。在来の神々の祭りを守る立場から、崇仏を進める蘇我馬子と激しく対立しました。587年の丁未の乱で蘇我馬子・聖徳太子らの連合軍に敗れて滅び、その敗死は蘇我氏一強体制を生む契機となりました。
おもな業績・つくったもの
- 仏教受容に反対し排仏を主張大連として在来の神々の祭りを守る立場から、崇仏を進める蘇我馬子と対立し、仏教の受容に反対したとされる。
- 蘇我馬子と対立し滅ぼされる(587年)587年の丁未の乱で蘇我馬子らの連合軍に敗れて滅び、その敗死は蘇我氏の主導権確立の契機となった。
生涯のあゆみ(年表)
- 587丁未の乱で蘇我馬子らに敗れて滅びる
豆知識
仏教をめぐり滅んだ豪族
物部守屋は仏教受容に反対する廃仏派の中心で、崇仏派の蘇我馬子と対立。587年の戦いに敗れて滅び、これを機に仏教が本格的に広まっていった。
人物相関
物部守屋
よくある質問
物部守屋は何をした人?
飛鳥時代に大連を務めた豪族で、仏教の受容に反対した排仏派の中心人物です。在来の神々の祭りを守る立場から崇仏派の蘇我馬子と対立し、587年の戦いに敗れて滅びました。
物部守屋はなぜ仏教に反対した?
物部氏は古くから朝廷の祭祀や軍事を担う氏族で、在来の神々を重んじる立場にありました。外来の仏教を受け入れれば国の神々の怒りを招くとして、崇仏に反対したと伝えられます。