
源義経
みなもとの・よしつね 1159–1189 / 平安末・武将・大名
平氏を滅ぼした悲劇の名将基本データ
- よみ
- みなもとの・よしつね
- 生没年
- 1159–1189
- 別名
- 牛若丸・九郎判官
- おもな地位・官職
- 検非違使・左衛門少尉
- 父母
- 父は源義朝
- 氏族
- 清和源氏(河内源氏)
- 最期の地
- 奥州(衣川)
どんな人?
源義経(みなもとの・よしつね)は、兄・源頼朝のもとで平氏を滅ぼしながら、最後は悲劇的な最期を遂げた平安時代末期の名将です。頼朝の弟として、源平合戦で目覚ましい活躍を見せました。
一ノ谷・屋島・壇ノ浦の戦いで平氏を打ち破り、1185年の平氏滅亡に大きく貢献しました。しかし、頼朝の許可なく朝廷から官位を受けるなど独断が多く、次第に兄との対立を深めていきます。
やがて頼朝に追われる身となり、奥州藤原氏のもとへ逃れましたが、そこで攻められて1189年に自害しました。その数奇な生涯は、後世に「判官びいき」の言葉を生むほど人々の同情を集めました。
おもな業績・つくったもの
- 一ノ谷の戦いで平氏を破る兄・頼朝のもとで一ノ谷の戦いに臨み、平氏を破った。源平合戦での目覚ましい活躍の始まりとされる。
- 屋島の戦いで平氏を追撃讃岐の屋島に拠った平氏を奇襲で追撃し、敗走させた。壇ノ浦での平氏滅亡へとつながる戦いとなった。
- 壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼす(1185年)壇ノ浦の海戦で平氏を滅ぼし、約5年におよぶ源平の争乱を終わらせた。義経の武勇を象徴する戦い。
- 兄・頼朝と対立し奥州で自害(1189年)頼朝に無断で官位を受けるなどして対立を深め、追われる身となった。奥州へ逃れたのち攻められて自害した。
生涯のあゆみ(年表)
- 1159源義朝の子として生まれる
- 1185壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼす解説を見る →
- 1189兄・頼朝に追われ奥州で自害する
豆知識
「判官びいき」の語源
兄・頼朝に追われ悲劇的な最期をとげた義経への同情から、弱者や敗者に肩入れする「判官びいき」という言葉が生まれたとされる。
兄に追われた英雄
平氏討伐の立役者となった義経だが、頼朝に無断で官位を受けるなどして兄の怒りを買い、追われる身となった。奥州へ逃れたのち自害に追い込まれた。
生き延び伝説も
義経は奥州で自害したとされるが、後世には北へ逃れて生き延びたとする伝説も生まれた。人々の同情が数々の物語を生んだ英雄である。
人物相関
よくある質問
源義経は何をした人?
兄・源頼朝のもとで一ノ谷・屋島・壇ノ浦の戦いに勝ち、平氏を滅ぼした平安末期の名将です。のちに頼朝と対立し、悲劇的な最期を遂げました。
なぜ兄・頼朝と対立したのですか?
頼朝の許可なく朝廷から官位を受けるなど独断が多く、次第に兄との対立を深めました。やがて追われる身となり、奥州藤原氏のもとへ逃れました。
判官びいきとは何ですか?
兄に追われ悲劇的な最期をとげた義経への同情から生まれた言葉で、弱者や敗者に肩入れする気持ちを指します。義経の官職「判官」に由来します。